大学の講義が地獄と化す3つの理由

久しぶりに大学に行ったら、授業がつまらなかった。
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なぜこんなにも退屈なのだろうか。留学前の2年間も同様な思いを持ったが、そのときは最低限ノートはとりつつも、持参した本を読むことでなんとか乗り切っていた。しかし昨年幸いにもオーストラリアでイギリス式?の大学の授業形態を経験したため、現在の日本の大学の授業形態の問題点を、相対的にながめることができるようになったように思う。僕の分析によると、原因は大きく分けて3つある。
(以下では授業の難易度は個人の判断・内容理解力によるので、考慮からは除く。)


1.1コマ当たりの講義時間が長すぎる。

2.講義を録音するシステムがないので、出席が半ば強制されている。

3.学生と教授間のやり取りが一方的。


1について
うちの大学は90分が一コマの単位である。これでは集中力がもたない。確か昔受験勉強のときに読んだ本に、ヒトの集中力の持続時間は個人差はあれど平均45~60分だったとあった気がする。90分は明らかに長すぎる。僕の場合は50分経過の段階で注意が散漫になり、眠くなったりする。オーストラリアでは、僕が履修した講義はすべて60分で一度休憩が与えられた。週2時間の講義がある科目では、前半1時間経過後に5分間の休憩が入るか、別の日にもう一時間のレクチャーが行われた。

2について
出席が成績の評価基準に入っているだけでなく、日本では大学に足を運ぶことが非常に重んじられている。おそらく日本の大学の教授達は、講義に出ない学生を基本的に不真面目だと断定しているようだ。今日受けた授業の一つでこんなことがあった。授業開始後まもなくして、何人かの生徒が教授が話す横をコソコソと退出していった。そのとき教授はその生徒たちを呼び止めることはしなかったが、授業後に「ああいった途中退室行為は私に対して非常に失礼だから、今後決してやらないように。トイレや緊急の用事など、やむを得ない場合は私に一言かけていくように」とおっしゃられた。教授たちは、講義に出ない学生にはどうも不親切だ。出なかった回のプリントやレジュメはもらえないし、一度教室に入ると、どんなに退屈な講義に直面しても 逃げられない。

オーストラリアの大学では講義を録音するシステムがあり、物理的に大学に来れない生徒は、家に居ながらにしてネット上で教授の音声を聞くことができた。録音ではなく録画にすれば、音声をパワーポイントを合わせてみることさえできた。

3について
授業が退屈になる最大の原因はこの講義方式にあると思う。なぜなら、教授からの説明を一方的に学生が聞くというやり方が、生徒の思考停止と退屈を招くからだ。特に個人的には、黒板に次々と単語を書き、それを生徒にひたすら写させる、という授業スタイルは最悪だと思う。この場合学生はほとんど何も考えず、ただ文字を写すという無益な作業に従事することになる。生徒に考えさせる問いを用意せず、事柄同士の因果関係を教えないのでは、知識は一向に定着しないだろう。生徒に授業中に写させる図は、あらかじめプリントに書いて配布するか、パワーポイントのスライドで表示すれば、授業時間をもっと細部の説明に割けるであろう。教授に授業後この授業方式の意図を尋ねても、「私が君にそれを言う必要があるのかね?」と、とりつく島もなかった。自身の授業のやり方についての反省はあまり見られない。

オーストラリアでは、どの科目にも、少人数の生徒とチューターが相互に話し合う“チュートリアル”という授業形式があった。日本風に言うと、ゼミとかセミナーに近い。そこでは基本的に先生の投げかける質問に対して学生が自由に議論するという形式をとっていた。チュートリアルが存在すれば、レクチャーの最中でも、「自分がのちにこのトピックについて発言するのだ」ということを意識することで、話を聞く真剣さは上がったと思う。



一体こういった不満は誰に言えばいいのか。教授に直接言っても聞き入れてくれる人は稀であろうから、学生部だろうか。それにしても、周りの学生はこんな講義によく耐えられるなあと思った。地獄と化した講義が当たり前になってしまって、もはや何も感じなくなっているのではないか。”ラクタン”を履修し、授業に来なくなる人の気持ちがやっとわかった。


                         教訓
・「良本を読むための条件は悪書を読まぬことだ」、と『読書について』でショーペンハウエルが言ったことは、大学の講義にも当てはまる。人生は短く、時間と力には限りがある。授業の質の改善が望めないならば、学生側があらかじめつまらない講義は極力履修しないように、履修登録するまでに全力で授業の質を調べ上げることだ。

・シラバスを読んだだけで、授業内容を判断してはならない。授業で扱うコンテンツがどんなに魅力的であろうと、教授の教え方が上手いか下手かはわからない。コンセプト・理念は常に美しいので、きれいな言葉に騙されてはならない。教授がどう教えるかが、あなたの聴講が天国か地獄行きかを決定するので、実際に一度その授業に出席し、身を持って確認することが望ましい。

・双方向コミュニケーションができる、少人数クラスをできるだけ履修する。
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by healthykouta | 2013-04-08 22:34 | Comments(0)