食べてはならぬもの

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食べていいもの・わるいものはあるか。

ある国では、クジラを食べてきた。その国の人は、白魚の踊り食いもする。生きたまま稚魚を飲み込む。
また別の国では、犬を食べる。死ぬ前に苦しませるほど肉が柔らかく美味しくなるため、解体の際に生きたまま皮をはぐという。一方で、犬をペットにして大切にかわいがる国もある。
鴨を病的に肥えさせて、肥大化した肝臓を珍重している国もある。
サメのヒレだけを切り落として、スープにする高級料理もある。ヒレを切り取られたサメは、生きたまま海に戻されるが、海底で身動きが取れず、他の魚の餌食になる。
とある国には、猿脳という料理がある。猿の頭をハンマーで叩いて気絶させ、テーブルの中央に頭だけ出した形で手足を縛りつけて座らせ、頭蓋骨をノコギリで円形に切り取って蓋のように外し、周囲にいる人間が生きたままの猿の脳みそをスプーンですくって食べる王朝がかつてあったという。
数が増えすぎたという理由でカンガルーを食べる国もある。
「バロット」という、卵から孵る直前のアヒルの雛を食べる習慣のある地域もある。
ワニ、亀、カエル、虫、サソリを食べる人もいる。
豚を不浄な動物とみなして頑なに食べない宗教、牛を神聖なものとして決して食べない宗教、甲殻類や貝、タコ、イカを食べることを許さない宗教がある。
菜食主義者もいる。
ヘロドトスの『歴史』によれば、人間の死者の遺体を食べる文化もあったという。

クジラを伝統的に食してきた人にとっては、それを食べることは当然と見なす。しかし同じ人がもし犬をペットとして飼っていたら、犬を食べることは感情的に許せないとして、他の人に食べないように働きかけるかもしれない。あんなにかわいらしい動物を食べるなんて野蛮だというかもしれない。種族としての数が減ってきているから、絶滅しかねないものは食べてはならないと主張する人がいる。食べることはいいが、残酷なやり方で育てたり、殺すのは虐待だからいけないとする人もいる。

 「人が何を食べようと勝手だろ。文化が違うんだから、食べ物に対する価値観も違う。ある文化では正しいことが、他の文化では正しくないことなんていくらでもあるんだ。お前に「これを食え。それは食うな」とは強制しないから、おれが何を食べようとほっといてくれ。」

という立場、「文化相対主義 」に立つならば、異なる文化を持つ人に対しては、その信条、行為、制度に対して何一つ批判できないことになる。絶対的な真理、万人にいつの時代も適用される道徳規範・ルールはない、時代・場所が変われば正しいことも変わるからだ。すると、食習慣以外にも、婚姻制度(恋愛結婚、見合い結婚、一夫多妻制度、一夫一妻制度など)、奴隷制度、刑罰制度(石打ち刑、拷問、目には目を、切腹、死刑)、女性に対する差別(ベイルで肌を覆うこと、教育を受けさせないこと)、人種差別、姥捨て、嬰児殺しなどの習慣も、文化が違うのだから他の文化の者が口出しをしてはいけないということになる。文化相対主義なら遺体を食べることも、カニバリズムも有りなのではということになってしまう。

普遍的な道徳真理はあるか。あるとすれば、どうやって証明するか。







文化相対主義
①異なる文化は異なる道徳規範を持ち、②異なる道徳規範に優劣をつける基準はなく、③自文化の道徳規範も特別ではなく数多くの道徳規範の一つに過ぎず、④道徳規範に普遍性はなく道徳規範は文化圏において決定され、⑤他の文化の道徳規範に対して外部から判断できない。
とする立場。


主要参考本 哲学ディベート 高橋昌一郎
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by healthykouta | 2013-07-27 09:49 | 読書 | Comments(0)