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福翁自伝(福沢諭吉のいたづら自慢)

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するめのような本だ。福翁自伝は去年も読んだが、改めてまた読むと、前回は気にならなかった箇所が目につくようになった。たった 1 年でも人生経験を重ね、本を読み、ものを考えることによって視野は広がるからであろうか。彼の自伝には様々なおもしろエピソードがちりばめられている。前半で特に興味深いのは、緒方塾時代の数々の彼の武勇伝(いたづら自慢)だ。当時の大阪の学生(塾生)はいま比べてずい分ガサツというか、半分ヤクザみたいな男が多かったようだ。「血に交わりて赤くならず」や「遊女の偽手紙」、「禁酒から煙草」の項は抱腹絶倒だった。こんな男でも一万円札に載る。難しい本を読んでは、(ほのかな優越感とともに)意味を解しておもしろがる大阪書生の気持ちは共感できた。

 後半部で注目したのは、彼がいかに周囲からの批判・誤解と戦ったかという点だ。外国語の翻訳者として政府に雇われ、洋行を繰り返した彼のような学者に対して、世間は「不埒な奴じゃ」「ひっきょうあいつらは虚言をついて世の中を瞞着する売国奴だ」という評価を下す。尊皇・攘夷の気運が広がりつつあった当時、一向に政治上の立場を明らかにしなかった福澤に対し、同藩士族は彼を「不親切で薄情な奴」と見た。いつの時代でも、人は不可解な存在や現象を、一生懸命推測することでなんとか理解しようとする。だから噂も立つ。さまざまな憶測・可能性が考えられる中で、わかりやすくキャッチーなフレーズのレッテルが、その単純さゆえに流布する。あいつは要するに「○○主義者」だ、「売国奴だ」のように。

ただし根拠の薄い噂でつくられた批判によって、人が裁かれてしまうのが当時の恐ろしさだ。「暗殺の心配」の項で彼が言うように、主義主張の合わない人間や気に入らない存在は、暗殺されていった。今からは想像がつきにくいが、当時は警察も裁判所もなく、人を斬ったからといって咎められることもない時代だった。現代では「疑わしきは罰せず」という原則で裁判がなされているが、当時は「疑わしきは斬るべし」だった。だからアメリカ人が銃で武装するように、武士も刀で自衛しなければならなかった。辻斬りが多発しており、治安はよほど悪く、殺伐としていただろう。

by healthykouta | 2014-03-31 01:47 | 読書