福翁自伝(福沢諭吉のいたづら自慢)
後半部で注目したのは、彼がいかに周囲からの批判・誤解と戦ったかという点だ。外国語の翻訳者として政府に雇われ、洋行を繰り返した彼のような学者に対して、世間は「不埒な奴じゃ」「ひっきょうあいつらは虚言をついて世の中を瞞着する売国奴だ」という評価を下す。尊皇・攘夷の気運が広がりつつあった当時、一向に政治上の立場を明らかにしなかった福澤に対し、同藩士族は彼を「不親切で薄情な奴」と見た。いつの時代でも、人は不可解な存在や現象を、一生懸命推測することでなんとか理解しようとする。だから噂も立つ。さまざまな憶測・可能性が考えられる中で、わかりやすくキャッチーなフレーズのレッテルが、その単純さゆえに流布する。あいつは要するに「○○主義者」だ、「売国奴だ」のように。
ただし根拠の薄い噂でつくられた批判によって、人が裁かれてしまうのが当時の恐ろしさだ。「暗殺の心配」の項で彼が言うように、主義主張の合わない人間や気に入らない存在は、暗殺されていった。今からは想像がつきにくいが、当時は警察も裁判所もなく、人を斬ったからといって咎められることもない時代だった。現代では「疑わしきは罰せず」という原則で裁判がなされているが、当時は「疑わしきは斬るべし」だった。だからアメリカ人が銃で武装するように、武士も刀で自衛しなければならなかった。辻斬りが多発しており、治安はよほど悪く、殺伐としていただろう。
by healthykouta
| 2014-03-31 01:47
| 読書