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有権者の合理的無知 まとめ

現在の有権者は多忙なだけでなく、公共政策について合理的に無知な状態に陥っている。合理的無知については、権丈(2001:32)が以下のように説明する。『ダウンズが考案し、<政治の経済学>の世界では普通に用いられる用語である<〔有権者の〕合理的無知>という概念は、(中略)野菜や果物の値段や、パソコンの価格を調べたり、すてきなデート・スポットを探したりというような日々の生活に有益な情報を得るために費やす時間やお金(コスト)を、公共政策をしっかりと評価するために要する時間やお金にはとてもなれないという<合理的な選択の結果としての無知>である。(中略)もし、経済学が仮定するように、人びとは合理的経済人として行動するのであれば、多くの人が、合理的無知を選択することは、かなり当然のこととなる。仮に、日々の生活に有益な情報を得るのに費やしている時間やお金を犠牲にして、政策を評価するために、新聞の政治経済面や専門雑誌を毎日数時間読んだり、休日は図書館にこもったりするような生活をしたとしよう。ところが、選挙の際の彼の1票の重みは、投票した人たちのなかの1票分にすぎないのであるから、政策評価から得られる期待便益は、かぎりなく小さなものになる。そうであるのに、必ず見返りが見込める日々の生活情報を得るための時間やお金を、公共政策を理解するために費やす人というのは、政治がとても好きというような趣味をもっているような人にかぎられることは、十分に予測できるのである。』『したがって、国民のほとんどが、実は何も知らない状況の下で、何事も選挙で決める民主主義が運営されていることになる。』図2は、一票の重みがかつては智徳度の高い人ほど高かった(それだけ尊重されていた)が、徐々に政治的な意思決定における一票の重みが、名目的には智徳度にかかわらず誰にでも平等にウエイト付けされるようになったことを示している。

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慶應義塾大学通信教育部入学式特別講演(4月29日)「”この人民ありてこの政治あるなり”の今日的な意味合い」『三色旗』2010年8月号http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/tushin_nyugakushiki1.pdf p29より引用

もちろん実質的には、智徳度の高い人は今でも一定以上の影響力をもってはいる。しかし現代では、同時に、智徳度の低い一部の層が圧倒的に大きな政治力をもっている(図3)。彼らはマスコミと、マスコミを通して自集団にとって利益になることを宣伝する能力を持つ利益集団である。利益集団とは、メンバーが特定の政策によって共通した利害をもつ、組織化されたグループと定義され、たとえば経団連、電気事業連合会、全国医師会、農協などがあげられる。権丈(2009)の言葉を借りると、「民主主義社会においては、有権者の耳目まで情報を運ぶコストを負担できる者が多数決という決定のあり方を支配できる権力を持つのであり、有権者の耳目まで情報を伝達するコストの負担は財力に強く依存している。財力を持つ集団は経済界であるから、民主主義というのは、経済界が権力を持ちやすく、そこでなされる政策形成は経済界に有利な方向にバイアスを持つことになる」というものだ。

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慶應義塾大学通信教育部入学式特別講演(4月29日)「”この人民ありてこの政治あるなり”の今日的な意味合い」『三色旗』2010年8月号http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/tushin_nyugakushiki1.pdf p29より引用

そのような状況下で、政治家はいかなる行動をとるだろうか。得票率の最大化を実現するために彼らは選挙戦略を決定すると仮定すると、「何も知らない合理的無知な投票者に正しいことを説得することによって権力の地位を狙う」だろうか、それともその「努力を放棄して、(あるいは無知や誤解の度合いを増幅させて)、無知なままの投票者に票田を求めるだろうか。」現実では後者の戦略をとる政治家が多いようにみえる。後者はポピュリズムにつながる。権丈(2010)の以下のグラフがそれを示している。

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慶應義塾大学通信教育部入学式特別講演(4月29日)「”この人民ありてこの政治あるなり”の今日的な意味合い」『三色旗』2010年8月号http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/tushin_nyugakushiki1.pdf p29より引用

政策領域の専門性が高くなればなるほど、政策を正しく理解している投票者の数は減る。このとき政治家は、多数の無知な有権者にターゲットを絞り、実現可能性を度外視さえしながら、耳には心地よいマニュフェストを主張することで、(費用対効果の面で)効果的に支持を集めることができる。たとえば、「増税しなくても埋蔵金をつかえば財政はまかなっていけるんです!」とか、「年金を積み立て方式に改革すれば年金制度は破綻しないのです!」とか、「私が当選したあかつきには、アベノミクスでデフレから経済を脱却してみせます!」など。政治家が有権者に正しい情報を提供することを放棄し、さらに有権者は合理的無知により自ら公共政策について勉強しないというこの状況下では、彼らは無知のままで居続ける。このとき、彼らのキャンペーンは効果的に機能し、利益集団寄りの政策が実現する。権丈は「民主主義というのは、われわれがしっかりと意識的に管理しなければ、組織化された利益集団が、未組織な有権者から思いのままに所得を奪うことができる政治システムである。(権丈2001:21)」と結論づける。

この構造の解決をはかるためには、アカデミズムにいる研究者が先導者の一端を担うことが期待される。彼らが多忙で合理的無知な社会人を「啓蒙」することで情報を提供し、民主主義がポピュリズム化しないようにする必要がある(この啓蒙という言葉には、上から目線のエリート主義的ニュアンスは含まれていないことに注意されたし)。研究者が民主主義の理念にしたがって社会的課題の解決を図るならば、多数の有権者にはたらきかけねばならない場面に直面するだろう。同業者のみを相手に狭い世界で学術研究に没頭するのでない限り、自分の研究を専門外の人々に早晩説かなければならない。
by healthykouta | 2015-07-15 18:34 | 読書