なぜ信長は明智光秀に暗殺されたか?

c0269468_217534.jpg


なぜ信長は明智光秀に暗殺されたか? (読書メモ)

クアトロ・ラガッツィ 下 若桑みどり 

いじめられたから、という定説はあれど、どこか不十分。

p139「大名というものはどの大名も臣下に対しては圧倒的に圧制者だから、いかに怨恨が積み重なっても、それだけではなかなかこうしただいそれたことに踏み切れないのではないだろうか。」

この謎を解く鍵は、信長がやっていた諸政策が、天皇・仏教・公家という旧勢力の統治の正当性を脅かしていたこと。

・1565年正親町(おおぎまち)天皇がキリシタン禁例を京都で出したのに、信長は宣教師の居住を認め、朱印状を出してこれを許可&保護した
→天皇の綸旨(命令)無視。それは「将軍の権限」であると主張。

・総見寺をつくって、生きながらにして自らを神と称し、崇拝させた。信長教ともいうべきもの

・馬揃えの際に、最高の賓客は、朝廷ではなく宣教師ヴァリニャーニだった

・暦の変更を主張。仏教の経典を入れた欽明天皇が伝えて以来、天皇の独占。これは当時の常識からいえば、たいへんな越権行為で、朝廷の神聖な権威を侵すものだった。彼は朝廷が独占してきた様々な神聖なまつりごとを奪おうとしていた。

・信長の後は、秀吉も家康も旧勢力は保護した上で、権力を握り、承認してもらった

ゆえに、明智と旧勢力が結んだと考えると、より説得力がある。
[PR]
by healthykouta | 2016-02-02 21:08 | 読書 | Comments(0)