知ると考えるの違いは?
最近の自分は先行研究の山に知識に圧倒されて、「自分のアタマで考える」ことを忘れていた。好奇心に導かれて本を読んでばかりいて。マルクスという模範に習おうとして。これまさにショーペンハウエルが「読書について」で警告していたこと、そのまんま東である。
読書とは、他人にものを考えてもらうことである。
一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく。
知識バカとでもいおうか。「思考の節約」という、頭を使うのをめんどくさがる人間の傾向性に流されていた。
それにしても、ほっといたらすぐ知識過多になってしまうすごい時代である。TV・スマホ・パソコンなどを通して、私たちは日々大量の情報の海でなかば溺れかけている。今や知識は記憶しなくても、知りたいときにすぐにネットで検索すれば呼び出せるようになった。知識のアウトソーシング現象。濱口秀司氏も、知識ばかり増えることを嫌っていた。(http://diamond.jp/articles/-/74301?display=b)
他方で、考えるには以下の方法で自分でやらなきゃならない。
・決めるための判断軸を列挙する
・なぜ?だからなに?と問う。
・もれのないように考える
・タテ・ヨコで比較する
・判断基準に優先付けする
・思考を図示する
・思考の棚をつくる
ゲーテも、過去の偉人から堂々と学ぶことを推奨していた。
結局われわれはどう立ちまわっても、みな集合体なのだ。
というのは、最も純粋な意味で自分の所有だと呼び得るものを、我々はごく僅かしか具有していないからである。
われわれはみな先人からも同時代の人からも受け入れ且つ学ばねばならない。最大の天才でさえも、自分の心にだけ頼ろうとしたら、大したことは出来ないだろう。
結局、自己の内に何かを持っているか、他人からえるか、独力で活動するか、他人の力によって活動するか、というのは皆愚問だ。要は、大きな意欲を持ち、それを成就するだけの技能と根気を持つことだ。そのほかのことはどうでもいいのだ。
(ゲーテ格言集)
「自分のアタマで考えよう」でのちきりんさんの名言は、「序」と「さいごに」にある。(カッコ内は私なりの補足・言い換え)
p20
『知識とは、「過去の事実の積み重ね」であり、思考とは、「未来に通用する論理の到達点」です。一部の知識は「過去において、他人がその人の頭で考えた結果」です。
それを私たちは書籍や講義、報道などの媒体を通して学んでおり、自分の頭の中に知識として保存しています。なにかを考えろ、と言われたときにそれを頭の中から取り出してくる(引用する)のは、「他人の思考を頭の中から取り出してくる行為」に他なりません。
他人の思考は正しい場合(歴史的に普遍性のあるアイデア)の場合もあれば、間違っている場合(時代のバイアスにとらわれているもの)もあります。時代や背景となる環境条件が異なる場合も多いでしょう。さらに危険なのは、それが「大きな権威をもつ、(しかしその立場ゆえに特定の利害を持ち、宣伝したい論を持つ)メディアや専門家の思考(・プロパガンダ・ポジショントーク)」である場合です。
その分野の大家と呼ばれる人が書き、歴史の判定を受けて長く生き残っている名著には、多くの場合「答え」が書いてあります。そんなすばらしい「答え」を目にしても、それに引きづられずに「自分で考え(、ときに疑い、自ら検証し、批判し、異なった結論に至)る」ことができなければ、私たちは未知の世界(不確実な未来)に向けて新たな思考を拓いていくことができません。(純付加価値のある論文を書くこともできないだろう。)
p243で、むろん彼女も認めている。
「本来は、書物や授業を通して先人のすばらしき思考の功績を知識として学び、さらにその上で自分の頭で考えるのが理想です。圧倒的なレベルの知識を前にしても、考えることをやめないのが本来あるべき姿勢です。」
→これが研究者の思考のアウトプットである論文の純付加価値の創造
「けれど当時の私のように、「答えとしての知識」が目の前に現れてしまうと、さっさと考えることを放棄し、「なるほど!それが答えなのね!すごい!」と感心してそのまま受け入れてしまうような素直な(思想の酩酊体質)人は、まずは「考える」ことが「知る」こととは違うのだということを理解するところから始める必要があります。「知識」と「思考」を分離し、知識を思考にどう活用するか、ということを学ばないと、「知識を蓄えるだけ、覚えるだけ」になってしまうからです。そうなったら考える力はどんどん減退してしまいます。
→思考の純付加価値の創造ができなくなる。
まとめると、ベストで目指すべきは、
・最大限先行研究から知識をインプット+その上に自分のアタマで思考をアウトプットする・・・マルクス
*ただし知識と思考を両立するという域に達するには、強靭な精神力と、思考のために意識的に時間を割く訓練を必要とする
セカンドベストは、
・自分のアタマでの思考アウトプット本位。そのために、最低限のみ先行研究から知識をインプットする・・・ちきりん、濱口秀司
*ただしこの人たちは、自分で考えたアイデアが、先行研究で既により優れた表現で著わされているリスクを負う。
本書を読むまでの自分は、
・最大限先行研究から知識をインプットをしていて、圧倒され、自分のアタマでの思考をおろそかにする≒知識のインプットもせず、思考もしない人
研究者として、自分の論文に純付加価値があることを証明するためには、先行研究のサーベイ・総ざらい(インプット)は必須。「彼らが何を考えたのか引用した上で、私は彼らに欠けていた、この点を更に深く広く考えましたよ」と言わねばならないから。とはいえ思考がおろそかになってはならない。