大学に文学部は必要か?

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今週の月曜、京都府立大学で行われた内田樹の講演会に行ってきたんや。「日本辺境論」を読んで以来、ワイすっかり彼のファンやねん。え?彼のどこがいいかって?うーん、ほな君は、先日話題になった文系学部廃止論について、どう思うとるんや。もし自分が文学部に属しとったら、自分の学部の存在意義が問われとるわけやから、そこに居続けたいと思うなら、きちっとした反論を叩きつけなあかんわな。内田樹さんも、2011年に京都大学文学部研究科で講演したとき、質疑応答の時間に経済学部の学生から、「大学で文学研究することに意味があるんですか?」って聞かれたそうなんや。その質問に対する彼の答えを紹介するで。

 『今の大学で、「存在しないもの」とかかわることを主務としているのは文学部ばかりです。世界内部的に存在しないものとかかわるもっとも有効な方法の一つが「文学研究」です。もしかするとあなたは自分がされている経済学というものがあたかも実体的なものを対象にしているかのように思っているかもしれないけれども、それは大変な勘違いです。だって、「市場」とか、「需要」とか、「消費動向」とか「欲望」のどこに、実体があるんです。欠如とか不足というのは事実としてあるかもしれない。けれども、「ない」から「欲しい」の間には文字通り「千里の逕庭けいてい」があります。フェラーリが欲しいとか、エルメスのバッグが欲しいとか、ipadが欲しいなんていう心的状態にはいかなる実体的根拠もありません。
 「貨幣」だってそうでしょう。貨幣の存在根拠は、「それが既に貨幣として通用している」という事実以外にありません。そして貨幣が通用するのは、それが「未来永劫に貨幣として通用し続ける」という幻想をみんな信じているからです。でも、国民国家なんかいくらも潰れるし、中央銀行の信用なんか簡単に地に落ちる。でも、そういう歴史的事実を無視しないと、貨幣は成立しない。実は貨幣を貨幣たらしめているのは思い込みなんです。
 経済学だって、実は幻想と物語を資料にして学問をしている点では文学研究と選ぶところがない。あなたは経済学部は「存在するもの」を扱っていて、文学部は「存在しないもの」を扱っていると思っているかもしれないけれど、経済学部も文学部も結局は人間の紡ぎだす幻想という「存在しないもの」を研究対象にしているという点では一緒なんですよ。文学研究は「存在しないもの」を専一的に「存在しないもの」として扱っている。その点では他の人文科学や社会科学よりはだいぶ「正気」の程度が高い。
 どんなふうに人間は欲望を覚えるか、どうやって絶望するのか、どうやってそこから立ち直るのか、どうやって愛し合うのか・・・そうゆうことを研究するのが文学研究です。だから、文学研究が学問の基本であり、それがすべての学術の真ん中に存在していなければいけない。僕はそう思っています。(「最終講義 生き延びるための七講I」より引用)』
 
なっ、しびれるやろ?彼以上に見事にこの問いに答えた者をワイは知らんさかい。まあこれは彼の語りの真骨頂のホンの序の口やけどなっ。内田樹さんに興味わいたらぜひこうてみんさい。


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by healthykouta | 2016-04-22 20:29 | Comments(0)