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電力会社の利己的な動機から出たアイデアが、日本を救う(?)


利他的な動機を持たなければ、利他的な結果が生まれないとは限らない。アイデアの質と動機に必ずしも相関はない、という面白い展開がみれた。


電力会社は、今後の低炭素化の世界的潮流に対応したエネルギ―供給を可能にし、人口減少と少子化で衰退する地方を救うためには、ドイツのように自治体が新たに電力会社をつくり、配電線をつくり、再エネは送電線に流すのではなく、地域で消費させる、地産地消的なやり方がよいとしている。


なにより面白いのはそれが、自由化された未来で自社の生き残りを懸けた日本の電力会社が、自由化が先行した欧米のような展開になった場合に自分たちの組織維持が困難になることを見た上で、そうならないよう、電力会社がつぶれないような、別の未来をつくりあげたということ。そしてそれが日本全体にとってもいいような公益性も兼ね備えているようにみえるということ。苦肉の策が、起死回生の逆転の一手になった。


これまで日本の電力会社は、自由化を遅らせて、改革を遅らせて、技術が開発され、欧米の経験・知見が蓄積するまで、いわば欧米には自然実験をさせてその帰結を見届けて、粘って粘って時間を稼いだ。だからこそ浮かび上がってきた代案。見事と言うしかない。日本はこの点で、決して世界に先んじることがなかった。世界のリーダーではなかった。「日本辺境論」で内田樹が言うように、日本は常に外からのアイデア・文明をキャッチアップしてきた。ただし既得権を持つ集団を損ねないようなやり方で、歴史を選択的に学び採用した。これが内田のいう日本人の「疾病利得」=後発者の利益ではないか。


「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(加藤陽子 著)で、「外交政策の形成者は、歴史が教えたり予告していると自ら信じているものの影響をよく受ける」といったアメリカ人の歴史家アーネスト・メイの言葉を引用しているが、まさにこれである。ただし、アーネスト氏はこの原理を、「なぜアメリカは最も頭脳明晰で優秀な政策担当者がいながら、ベトナムに介入し、泥沼にはまるような決断をしたのか?」という問いに答えるために用いて、「政策形成者は通常、歴史を誤用する」と述べているが、電力会社は、同じ轍を踏まないように、歴史を上手く用いているようだ。


このビジョンは、電力会社にとってのみ利益なのではなく、一見公益にもかなっているようにみえる。災害に強く、少子化・人口流出に悩む地域の衰退を止める新たなまちづくりにつながり、低炭素社会の実現にもなる!という大義がある。


同時に電力会社の望ましくないシナリオを避けられる。そのシナリオとは、電気という財の販売をめぐって新電力と競争が激化すること。今後人口が減り、総電力需要量(電源の消費量)が伸びないことはもう間違いない。しかも再エネの固定価格買取制度(FIT)の賦課金の増加により、自家発電の経済性が高まると、どんどん消費者は電気を自給しだす。するとますます電力会社の販売量は下がる。一人当たり電力消費量の増加も期待できない。(熱(ガス化)・交通(電気自動車)面でオール電化は推し進めるけど、余地は多くはない)そんなときに電力会社が送電線投資なんてしてられっかよ。投資費用回収不可能。さらに投資したら、競合他社の再エネがますます入って自社のシェアは減る。競争上不利になる。だから送電線投資は絶対したくない。避けたい。投資はコスト。カットの対象。送電線投資が望ましくない理由を、「託送料金(電気料金)が上がるから」と消費者の立場をおもんぱかってるようなことに言うが、そんなことになったらますます自家消費がすすんで電力会社の販売量も落ちてしまうという事情も隠れている。負のスパイラル。アメリカの電力会社が直面していることである。それを日本の電力会社は学んだ。


再エネを電気として扱うと競合する。広域で融通して取引させるとシェアが奪われる。だからそうならないように、地産地消にする。これがクラスター構想。マイクログリッドの本質ではないか。というか舞台裏。そして再エネ電気は地域で熱に変えたり、水素に変えたりをすすめる。これで、肝心のお得意様である産業用大規模需要者には依然として売れる。主要な収入源。そして再エネたちには、地方で供給させる。グリッドにのせない。石炭をベースロードで、負荷追随させずに運転できる!高効率で競争力維持!販売!安定収入!新電力には負けない!このビジョンでいくなら「ベースロード」が蘇る。電源間の役割分担。


貫徹委員会では、電力会社の販売量が減少しても収入を維持できるように、収入多角化戦略として、kw価値をもらう(容量メカニズム)。原発など低炭素に価値を認めてもらって支払(補助金)を受ける。ベースロード電源を切りぬいてメリットオーダー効果による押し出しを避ける。


組織の利害にとらわれずに済む研究者は、このビジョンが本当に最も望ましいのかよく考えてみなければならない。一見win-winであり、共存共栄が図れる夢のようなアイデアだが、はたして本当にできるか、全体にとって最適なのかどうか。欧州のように、送電線を増強投資し、発送電分離を法的分離以上に推し進め、再エネはグリッドに受け入れて広域連係をがんがん行うことで吸収・需給調整を行うというやり方と、どっちがいいのだろうか。これからの日本にとって。


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ノーベル経済学者スティグリッツは福島原発事故後、イギリス・ガーディアン紙のインタビューに応じて、 「ミスをしたときの費用を他人が負担してくれる場合、自己欺瞞が生まれやすい。ビジネスの利潤は企業の懐に入り、損失は社会全体が支払うシステムは、リスク管理に失敗する。」と金融業界と原子力業界のリスク管理の共通点について指摘した。当たり前の話である。企業はビジネスに失敗して巨大な損失を生んでも、国家(納税者)が面倒をみてくれるのだから、真剣にリスク管理を行わない。これは経済学をやってる人にとっては馴染み深い、モラルハザードの話だ。人間は責任をとらなくていいならば、どんな負の外部性も発生にも構わずに、利己的な行為ができてしまう。自分が失うものはないからだ。カネを借りて万一返さなくても許されるなら、みんなドンドン借りていくだろう。だからそれを避けるには、事前にルールをつくって規制しておかなければならない。


しかしその規制の試みは、それを喜ばない者たちの力によって阻止される。劇中では、リーマンショック後のオバマ政権ですら、金融業界を規制する政策が骨抜きにされ、政府の要職も金融業界寄りの人物で占められた様子が描かれていた。インサイド・ジョブの監督チャールズ・ファーガソンが書いた「強欲の帝国」の中で、彼は


「政治的に強力な利益集団が巧みに改革を阻止してきた。金融サービス、エネルギー、防衛、電気通信、医薬品、加工食品などの業界団体が、彼らの利益を犠牲にしてアメリカの未来をよくしようとする動きに猛烈に抵抗してきた」


と述べた。これと同様の動きは、日本でも日々観察される。私は、この現象は21世紀の資本主義的民主主義における最大の問題の一つではないかと思う。民主主義だろうが他の政体だろうが、“ウォールストリート政権”が政治を動かしてきたのは、古今東西変わらない社会の宿命かもしれないが。一番納得がいかないのは、迷惑をかけた張本人たちは痛くも痒くもないまま逃げおおせてしまう一方で、ツケを払わされるのが納税者だということだ。負担と給付のバランスがおかしい。しかも国民はこっそり尻拭いさせられる。これは公平ではない。この点で私とファーガソンは共通の問題意識を持つ。


さらに厄介な点は、巨大な金融会社や電力会社はあまりに社会に占める役割とその規模が大きすぎて(潰したときの社会に与える影響が大きすぎて)潰せない状況にあるということだ。結果、責任をとらせようとしてもできなくなる。私が知る限りでは、このテクニックを最初に編み出したのはカエサルだ。塩野七生の「ローマ人の物語」の8巻では、当時カエサルに莫大な金を貸していた大富豪クラッススとカエサルの関係が書かれている。そこでは、「借金が少額のうちは債権者が強者で債務者は弱者だが、額が増大するやこの(力)関係は逆転するという点をカエサルは突いた。」とある。長くなるが詳しく引用すると、


“借金が少額であるうちは、それは単なる借金に過ぎず、債務者にとっての保障にはならない。だが、借金が増大すれば事情は変わってくる。多額の借金をもつことは、もはや「保障」を獲得したことと同じになる。多額の借金は、債務者にとっての悩みの種であるよりも、債権者にとっての悩みの種になるからである。不良債権として忘れ去るには、あまりにも多額すぎるからだ。ために債務者が破滅しないように全力をあげて努めるのは、今度は債権者のほうになってくる。”


この関係は、現代の金融業界や原子力産業に対する国の関係に等しい。このことを利用してカエサルは、借りた金を街道の修復や剣闘試合の主催や選挙運動などにつかったという。この点も現代の電力・金融・製薬などの業界団体が、自らのビジネスで得たレントを政治へのロビー活動に費やしているのと一緒である。


最後に、もう一つの難題は、因果関係の相互連関性だ。金融危機を起こしたとされる当事者は、国会に召喚されると、決まって「The financial system is complicated.」と証言する。これが責任逃れを可能にさせている。巨大で複雑なシステムの中で、ある現象の直線的な因果関係を解き明かすことは容易ではない。社会現象においては、「総ては総てに依存する」。実際、経済現象の多くは、物価と賃金のように、片方が一方的に他方を決めるような関係にはない。一方が上がれば他方も上がり、それがまたもう一方を押し上げる。例えば、パンの価格も、パンの需要と供給だけでなく、代替品の価格、補完財の価格、原料費、などさまざまな要因が影響を与えて決定されている。小室直樹によれば、国際関係も相互連関で動いているという。(参考:小室直樹「経済学をめぐる巨匠たち 第9章」)今に至るまで学者間で、リーマンショックの原因に対して統一見解がないのがその証左だろう。それゆえ、仮にある人がパンの原料費を上げたことを理由にパンの価格を上げた責任を問われても、「パンの価格を最も上げたのは真の要因は原料費ではなく代替品の価格だ」と容易に主張できる。金融の動きはもっと多様な要因が相互に影響を与えている。だから金融業者は、自らが小さな一アクターに過ぎなかったことを言い訳に、自分に原因や責任はないと言えてしまう。鳥が先か、卵が先か、決着はつかない問題は多い。複雑な金融工学に基づいて作られたデリバティブのやりとりは、さらに素人には理解できない世界を作り上げた。「風が吹けば、桶屋が儲かる」くらいのわかりやすい世界ならいいが、今や「ブラジルでの蝶の羽ばたきは、テキサスでトルネードを引き起こす」と言えてしまうのだ。その因果関係の糸の束の絡まりを解きほぐすのは容易ではない。


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国会エネルギー調査会準備会第36回(2014年3月6日)議事録
http://www.isep.or.jp/news/6004

 

36回では、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から3年を迎えるにあたり、福島第一原発事故の原因究明をテーマに開催しました。事故の直接的原因究明は、エネルギー基本計画や原発再稼働方針、規制基準のあり方など多くの課題にも関連するテーマです。20127月に報告書を公表した国会事故調は、「事故の主因を津波のみに限定すべきでない」、「安全上重要な機器の地震による損傷はないとは確定的には言えない」と結論し、「引き続き第三者による検証が行われることを期待する」としています。この点を取りまとめられた元国会事故調委員の田中三彦氏と、地震動による配管漏えいの可能性を主張されている木村俊雄氏をお招きして、理解を深めた。

 

【説明者/ゲストの報告の概要】

*報告:田中三彦氏(元国会事故調査委員会委員)

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最大の争点は、津波と全交流電源喪失との関係だ。全交流電源喪失の原因は、津波か、地震か。津波で電源がやられたのならば、「あれほどの大きな津波がこない限り、他の原発は大丈夫だ。」と言えそうなところだが、これが地震であったとするならば、「日本の他の原発も、日本の地理特性上高い頻度で起こる地震によって同様の事態に陥るのではないか」という懸念が出てくる。元国会事故調査委員会の田中三彦氏は、短い期間であったが3カ月の調査の結果、現場を実際に訪れることができていないのがネックだが、津波がくるよりも1~2分早く全交流電源喪失が起きているという前後関係は間違いないこと、その他画像のスライドに挙げられている5つの理由から、「原因は地震である可能性は否定しない。(特に第1号機で)」と報告した。この論点について「原因は津波である」と主張する東電側と現在でも論争中であり、田中氏は山形で開かれている東電の技術委員会で引き続き議論を続けている。彼の報告に対し、「非科学的だ」という批判があるがこれは間違っていると彼はいう。同じ事象を同じ情報(データ)でもって分析した結果、結論が同じになるとは限らないからだ。

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「独立調査委員会」を田中氏が必要だと考える理由は、国会事故調が与えられた3カ月という短期間では、十分に事故の解明ができたとはとても言えないからだ。現在でも国会事故調当時のメンバーが自費で独自に分析を続けているが、資源が限られており限界がある。さらに国会事故調査委員会として活動していた際に、東電に問い合わせて「ない」と言われたデータが、今になって突然公表されており戸惑ってもいる。規制当局を国会が監視することも提言する理由は、規制委員会が現在設置している事故分析に係る検討会(以下「検討会」と表記)に問題(詳細は以下のスライド参照)が多いことだ。

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特にスライドにある「調査・分析・検討がきわめて独断的・権威的である」ことを示すエピソードとして田中氏が挙げたのが、2012年3月初旬に彼が「出水事象を調査するために第1号機に入りたい」と東電に申し出たところ、窓口で「1号機の中は現在真っ暗で20m下に落下する危険があり、危ないので東電からは誰も同行しないがいいか」と言われたことだ。それを聞いて彼は中に入ることを断念したが、後日「1号機の中が暗い」ということは嘘であったことがわかった。結局規制委員会は5月に独自に入ったが、田中氏に何を調べたかったのかなど何も聞くことはなかった。

(参考 :

朝日新聞「国会事故調調査妨害問題」

http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201302060574.html

弁護士伊藤良徳氏のサイト

http://www.shomin-law.com/essayTepcotheliar2.html

 

さらに1号機4階で水があふれた事象に関し、当時それを目撃した作業員が2人いたのにもかかわらず、規制庁と蜜月関係にある方からのみヒアリングを行い、食い違う目撃情報を持つもう一人からはヒアリングを行っていないこと。その人物は「なぜ私にヒアリングしないのか」と規制庁に電話もしたものの、その後もヒアリングはされていない。

 

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なぜかくまでに今回の事故の原因の究明にこだわるのか。その答えは、昨年政府が発表した新・規制基準の欠陥にある。世界最高水準と称する新規制基準には、原発稼働の条件としてフィルターつきベントの設置をあげ、「シビアアクシデントの際には格納容器が破損する前に放射性物質をベントで排出し容器内の圧力を下げる」としているが、地震か津波で格納容器が壊れたら、そこから放射能は出てしまうことになり、ベントすることもできなくなる。現に今回最も放射性物質を放出した2号機からは破損した格納容器から放射性物質が出ている。つまりベントさえつければ、放射能を外に出さないことができるというわけではない。今日欠席の木村さんも同様の危険性を指摘している。再稼働の前に、ヨーロッパやアメリカに安全チェックをしてもらうのも手だ。原子力規制委員会は軽率にも2011年6月20日の時点でIAEAに対し「地震による損傷はなく、全電源喪失は津波が主因だと思われる」という報告を出しており、それにつじつまを合わせるように原因分析がすすめられているように思われる。


*登壇予定の木村俊雄氏(元東京電力社員)はインフルエンザで欠席。元衆議院議員服部氏が代弁。木村氏は東電社員時代、原子炉の設計と制御に関わる部署で働いていた経験と知識をもとに、過渡期現象記録装置データを解析。福島原発事故は、津波ではなく、地震動によって炉心損傷が起こり、メルトダウンに至った可能性が高いことを立証しようとしている。

 

*説明:東京電力株式会社、原子力規制庁 それぞれ10分間、スライド通りの説明のため省略

 

質疑応答の要点

・田中氏「なぜ「検討会」は国会事故調のメンバーに話を聞きに行かない?国会事故調メンバーが何に苦心したか、悩んだか調べたかったことなど、参考にできることは多くあるはずなのに」

規制庁村田氏「国会図書館にある事故調のデータを閲覧しようとしたが開示されておらずみることが出来なかった。」

田中「人間に会いに来ればいいだけの話。国会事故調の報告結果を無視して、「検討会」は国会事故調が出した結論をことごとくつぶしている。国会事故調と「検討会」では現にヒアリングの内容も異なっているし、津波の写真分析も違う。」

村田「津波写真については分析を継続中」

田中「なぜはじめ「ない」と言っていた資料があとから出てくる?」

村田「申し訳ない。データの量が多いから、公表に時間がかかっている。」

田中「ぜひ提言の①は実現させてほしい」

 

・菅直人元首相「以前政府の事故調査委員会の委員長だった畑村氏が『福島原発事故はなぜ起こったか 政府事故調核心解説』という本を出している。その中では政府事故調ができたこと出来なかったことが述べられており、特に後者については「今後も専門家に検証してもらいたい」としているのだから、「検討会」は田中氏や畑村氏の声を無視せずよく参考にしてほしい。私が首相当時には原子力委員会委員長近藤氏がシミュレーションを出したが、いろんなことがその後明らかになった今また改めてシミュレーションをすることでわかることが多くある。そしてそれはこれからの政策判断の材料になるはずだ。

 

・逢坂誠二「今回の事故の原因の究明はすべてできると考えている?原因究明し尽くすことできないとすれば、それにもかかわらず原発の再稼働をする?国民は、原因が究明されていないのに再稼働することには不安があるはず。」

東電「未解明事項を解明していく。再稼働については、まずは規制委員会の判断を仰ぐ。」

規制委員会「事故の原因解明がどこまでできるかを知るのは困難。現場に入れないことエリアもある。すべてを把握した上でないと、「これで全部の原因を究明した」とはいえない。再稼働については、昨年7月に作成した新規制基準を満たしているのかまず確認する。その間に新しいことが見つかれば、その都度稼働条件にも組み込む。」

 

・近藤議員「規制委員会は、法的に裏付けがない「検討会」の出すレポートを、日本政府の正式な見解としてIAEAに出されようとしている?」

規制庁「はい。」

近藤「そうなると、他の4つの事故調の報告を否定するような内容のものが、政府の見解として提出されることになってしまうではないか」

規制庁「しっかり検討します。」

 

・飯田「田中氏が述べたように、メンバーとその人選に問題がある。次にもし事故が起きたらだれが責任をとるのか?想像力をはたらかせて、同じ過ちを繰り返さないようにしてほしい。」

 

阿部議員「東電や「検討会」では津波が全電源喪失をもたらしたと信じているようだけど、安易に断定せず、虚心坦懐に分析してほしい。この場に参加してくださりありがたい。あなた方が参加されるのは、われわれの声を聞いてよりよい分析をするつもりだからだと思うので。われわれ議員も一生懸命勉強をする。」


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この本は、フクシマを訪れて事故がもたらすものを実際に見る余裕がない人にも、原発が何をもたらすかを徹底的に教えてくれる。多くの人が会社を離れ人手が薄くなる正月のような祝日を狙って原発が攻撃されたらどうなるか。ダイナマイトで送電塔を爆破されれば原発事故につながりうること。非常事態時では原発が緊急停止した後、原子炉を冷却し続けなければならないが、東北に立地する原発では非常電源の燃料備蓄が雪でつかえなくなる事態、外部電源車が雪で走れなくなる事態。事故後急いで車で避難する人たちが事故を起こし、道路が封鎖され公共交通機関もマヒし、事故収束に向かう車や人物が現場に近づけなくなること。このように、本書は我々の想像力の欠如を補ってくれる。本書は予言の書であると同時に、これでもかというほど警告を鳴らす鐘でもある。仮にもう一度事故が起きた場合、どこに影響が及ぶかについてもよく描かれている。金融市場ではマーケットから日本政府への不信任が突き付けられた結果、円安・国債の利回りが急上昇し、財政破綻の危機に陥るかもしれないこと。外交への影響としては、事故の混乱を狙ってどさくさに紛れて中国・韓国・ロシアによる領土侵略がなされる可能性があること。このような領域にまで影響が及ぶことを想像できる日本人が、この著者以外にどれだけいただろうか。  


本書から教訓を読み取ろうとする試みに対し、「この本は現役の官僚が匿名で書いたというが、所詮架空の物語にすぎない。登場人物も現実の人物をモデルにはしているというが、発言や行動は事実とは無関係だから、内容を気にする必要ない。」と言う人がいるが、侮ってはいけない。もちろん現実の人物がモデルになっているとはいえ、本書に登場する人物の個々の発言や行動が現実のモデルと同じかどうか、我々は知る術を持たない。電力会社の社員やエネ庁の官僚が、裏でなにをやっているかはわからない。しかし、過去に何があったかは確認することは不可能でも、未来に起こる可能性は依然として存在する。現に現実のエネルギー政策のいくつかは、本書の筋書き通りに進んでいる。再稼動への動き、エネルギー基本計画の内容、もんじゅによる核燃料サイクルという神話復活への動きなどだ。幸いにも県知事の贈収賄のねつ造と逮捕はまだ起きていないが、今後起きないとは言い切れない。最悪の事態は、ネタばれを避けるため詳しくは言わないが、物語の結末だ。小説で描かれる悲惨なシナリオは、反面教師として現実世界でも役立つ。本の結末が望ましくない未来ならば、本書の事態が実現しないように、現在(いま)から予言された未来を変えるために対策を打つことができるからだ。


 政策決定の価値判断をする際には、一部の集団の利にだけ目がくらんでいては国家全体にとって妥当な判断は行えない。福澤諭吉も『文明論之概略』で、


「利害得失を論ずるは易しと雖ども、軽重是非を明にするは甚だ難し。一身の利害を以て天下の事を是非す可らず、一年の便不便を論じて百歳の謀を誤る可らず。多く古今の論説を聞き、博く世界の事情を知り、虚心平気以て至善の止まる所を明にし、千百の妨碍を犯して世論に束縛せらるゝことなく、高尚の地位を占めて前代を顧み、活眼を開て後世を先見せざる可らず。」


と言った。 軽重是非の判断は、メリットとデメリットを天秤にかけてはじめて可能になる。宝くじを買うべきか否かを考えるとき、くじ一枚の価格が、買うことにより期待される賞金額(期待値)より低ければ買わない方が合理的だ。どんなに一等の賞金が膨大な額だとしても、それが当たる確率が数兆分の一だとしたら、買わない方が利益は大きい(損は少ない)からだ。同様に、原発事故が再び起きる確率が仮に低くても、万一事故起きた場合に引き起こされる被害が、原発を稼働させることにより得られる利益よりも甚大であったならば、使用するべきではない。事故による被害は、事故収束に要する廃炉費用・除染費用・賠償金・廃棄物処分費用などがあり、数十兆~数百兆円にのぼると言われている。生まれ育った土地を捨て、生きがいを奪われ、孤独な避難生活を強いられる人々の精神的ストレスや土地や海が汚染されることによる産業への信頼失墜は金額に換算することができない。これに事故の現場から半径数十キロで人が住めなくなり、事故につけこんで近隣諸国に領土を奪われ、財政も破綻に陥るといった事態が起こり得るならば、このような損害は到底無視できるものではない。福島の事故後でさえ原発の推進を主張する人に共通しているのは、原発に付随するリスクから目を背けているかのように自説を展開することだ。これらの「重い」リスクに比べれば、中東から輸入している、化石燃料の不安定性を克服するためのエネルギー自給体制の構築や、年数兆円の国富流出防止、産業の国際競争力の低下、電気料金上昇の恐れなど、推進派の主張するロジックは、どれも「軽い」ことは明らかではないか。普通の宝くじなら当たらなくても買う人自身が損して済むが、原発事故という宝くじは、当選した場合周囲の人間と未来の世代までも巻き込む。


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昨日行われた、衆議院第一議員会館で行われた、第35回国会エネルギー調査会の議事録です。

http://www.isep.or.jp/library/5024


【テーマ】エネルギー基本計画のあり方を問う

 

【この回の概要】

35回では、「エネルギー基本計画」の策定に関連して、核燃料サイクル事業の見直しや原発再稼働に向けた用件等について議論します。エネルギー基本計画をめぐっては政府・与党内で閣議決定に向けた調整が進んでいます。原発ゼロの会も129日に「エネルギー基本計画への提言」を発表し、原発ゼロへの道筋を明確にすることなどを求めています。今会合では、先日来議論を呼んでいる高速増殖炉もんじゅの実用化目標等の見直しを含む核燃料サイクル事業の問題や、原発再稼働の要件と周辺自治体の避難計画の位置づけなどについても取り上げます。

 

【説明者/ゲストの報告の概要】

核燃料サイクル事業、高速炉もんじゅについて 資源エネ庁、文部科学省

・核燃料サイクルの意義「軽水炉再処理により、高レベル放射性廃棄物の体積を約4分の1に低減可能。また放射能の有害度が天然ウラン並みになるまでの期間を10分の1にすることができる。高速増殖炉が実用化すれば、高レベル放射性廃棄物の中に長期に残留する放射能量を更に少なくし、発生エネルギーあたりの環境負荷を大幅に低減できる可能性(スライド3枚目)」

 

・日本原燃は2014年10月の再処理工場の竣工を目指し、本年1月7日、再処理工場やMOX燃料工場等の新規制基準への適合確認を原子力規制委員会に対し申請した。

 

・日本に保管中の使用済み燃料は約17000トン。日本が使用済み燃料の再処理技術により自力でMOX燃料を製造できるようになるまでは、中間貯蔵施設の建設で使用済み燃料を保管している。2005年10月策定の原子力政策大綱では、この中間貯蔵は、ゆくゆくは可能になるであろう再処理への時間的な調整を可能にするので、核燃料サイクル全体の運営に柔軟性を付与する手段として重要であるとされている。しかし一部の施設では貯蔵余地がひっ迫している。短いもので数年程度で使用済み燃料の置き場が無くなる。(残り3年:柏崎刈羽、玄海、東海第二)だからこそ再処理技術の確立を急ぐ必要がある。

 

・日本は非核兵器保有国でありながら原子力の平和利用を進める模範国として、原子力委員会において、「利用目的のないプルトニウム、すなわち余剰プルトニウムを持たない」との原則を示すことで、国内外の理解を得るつもり。

 

・もうすぐ完成するエネルギー基本計画では、使用済み燃料の貯蔵能力を高めるために、発電所の敷地内を問わず、新たな地点の可能性を広く検討しながら、中間貯蔵施設や鑑識貯蔵施設の建設・活用を促進すると共に、そのための政府の取り組みを強化するとしている。安全確保を大前提に、核燃料サイクル(再処理技術を完成させ、高速増殖炉によりMOX燃料を自弁し、プルサーマル発電を進めること)を着実に推進するとしている。

 

【議論の中での重要なポイント】

専門家・議員による質疑

河野太郎「原子力発電後に発生する核のゴミの処分方法について未定。MOX燃料として再利用した残りの使用済み燃料、MOX燃料を使用した際に出る使用済み燃料をどうするかについて何も説明がない。無限に再処理を繰り返すことは不可能。これでは議論のためのデータとしては不十分。このような資料を出すことはやめてほしい。多くの専門家が、再処理技術確立は不可能だと言っているにもかかわらず、核燃料をやめたらどうなるかについて何も考えていない。実際は実現可能性の見込みが低い技術の確立が前提となっている。これでは何を議論したらいいかわからない。」

 

秋本まさとし「同意。再処理を進めたいがために意図的にこの資料を出しているという印象を受ける。

さらに『軽水炉再処理により、高レベル放射性廃棄物の体積を約4分の1に減容可能』というが、処分場の広さは、廃棄物の容積ではなく、熱量の大きさで決まるはずだ。だとするといくら容積を小さくできても、使用済み燃料の処分は容易にはならない。ゆえに容積の減容は再処理のメリットにならない。

再処理に要する費用を計算するべし。これまで成果が出ていない割に高いから。(キダ「データがないので持ち帰って検討します。」)


管元総理「再処理できる例はある?(岡野「可能。フランスのUP2-800など実績あり」)何回再処理できる?(岡野「ウランだけ再処理する場合、MOX燃料も混ぜる場合それぞれ答えは異なる」)再処理が可能になったとしても、70%は燃料に利用できない廃棄物が出るわけだがこれをどう考える?その点について言及がないのはおかしい。(岡野「答えは高速増殖炉の実現の是非に依存します」)」

 

江田五月(1993-1994元科学技術庁長官)「私が科学技術庁長官であった当時は高速増殖炉サイクルのことを核燃料サイクルだと説明を受けたが、この資料では軽水炉サイクル(プルサーマル)が核燃料サイクルとして位置づけられている。この変化はどういうことか。(飯田哲也「転機は1997年の高速増殖炉もんじゅの事故。それにより高速増殖炉サイクル実現が現実的でなくなったが、原子力発電を続ける限り依然として発生する使用済み燃料を処理するための六ヶ所村の再処理工場建設を続けるため、その口実として軽水炉サイクル(プルサーマル)が登場することになった。」)」

 

金子勝「再処理工場実用化へは既に3~4兆円かけている。(1.4兆+実験・運転費用2兆+使途不明金4000億)建設開始から20年以上経っていまだ実用化していないのでムダといえる。他方、福島放射能汚染の除染費用は5兆円だったものが2.5兆円に削減された。暗に仮置き場で汚染土などを放置するということ。まず濃縮するべきはウランではなく福島のセシウムではないのか?誰がどう責任をとる?福島の除染費用を削ってもんじゅに予算をまわすことは、政策のスタンスとして倫理的にいいことか?許されることか?」

資源エネ庁「我々は再処理施設はまもなく動くという段階に来てると思っている。」

金子「10年前にも同じこと言って結局動かなかった。しかも誰も責任をとっていない。」

資源エネ庁「フクシマ対応は政策として取り組む。再処理問題とフクシマの件は別だと理解しています。誰が責任をとるかという問いには私は答えられない。少なくとも六ヶ所村の再処理工場が原因で福島の除染費用が出なくなるわけではない。」

 

原子力情報資料室伴英幸「①核燃料サイクルについてのスライドにある『第二再処理工場』という表現はいかん。実際にまだ存在してないのにさもすでに出来上がっているという印象を与えるからだ。②再処理工場は、民間が経営している。東電は事故後半分国有化されている。規制庁に追加で安全対策を求められた場合に、資金的裏付けがない。つまり民間がお金がなくできないとなったら再処理は不可能ではないか。③余剰プルトニウムを持たないことを確実に示さなければならない。④トラブル続きの高速増殖炉もんじゅ実用化計画を福島原発事故後も続けるのは本当に妥当なのか議論していないのでは?資料は増殖炉を使う前提でそのための計画を示しているに過ぎず、総合的に是非を判断することをしていない。

資源エネ庁「①たしかに資料の作りこみが良くなかった。ご指摘とおり、将来目指しているというのが実情。国は目標として政策大綱にも掲げている。ネーミングとしてよくないのは認める。②については、その仮定での議論はまだしていないので答えられない。④技術として再処理技術を保有することには価値がある。廃棄物の減容性の点からも。」

 

植田「以上から明らかになったのは、政策判断の材料となる資料に正確さが欠けていたということ。」

 

原発再稼働と地域防災計画・避難計画について(前回質問事項)資源エネ庁


経産省の北村氏「法令上は、原子力規制委員会がOKを出せば、事業者は再稼働できることになる。防災計画は、各自治体が防災会議で作成する責務を負っているが、国でもワーキングチームをつくり、地域防災計画の策定を支援している。」

管「自治体に規制委員会がOKを出してしまえば、(避難計画なしでも)自治体が再稼働を拒否する権限はないではないか。規制委員会は住民の安全にかかわる防災計画の有無や内容の精査はしないから、自治体がいざ防災計画をつくってみたら、福島と同様の事故が起きたら数10年は家に帰ってこれないといった被害を受けることがわかり、再稼働を容認できなくなったとしても自治体が再稼働を拒否する権限はない。事業者は地元の意思を無視して稼働することも法令上は可能になっている。」

金子「にもかかわらず、現状国民は規制委員会がOKを出したら、避難計画も考慮に入れたうえで安全が担保されたわけだから安心だと思ってしまう。さらに、事業者と市町村は任意で安全協定なるものを結んでいるというが、これは行政契約だろう。だとすれば事業者が再稼働をしようとした際には、国はその契約を順守するように事業者を指導する必要があるのではないか。契約が破られるのを放置していいのか。」

経産省の北村氏「誰も考えていなかったのでこの場では答えられない。公害の場合などふつうは国は指導に入るはず。安全協定の場合はどうなるかは未定。」

阿部「もし事故が起きた場合でも、国民がどう安全でいられるか考えてほしい。逃げることの実効性が求められている。次回の国会エネ調には当事者である自治体の人が参加する。」

 

植田「エネルギー基本計画の中には、『安全性に基づいて再稼働する』という文言がある。しかし現在事故発生時の際の住民の安全性が担保されているかは不明であることがわかった。これは問題なので次回までによく考えてほしい。」


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「原子力発電の使用を止め、代わりに自然エネルギーにシフトしよう」という主張に対し、典型的になされる数々の反論への回答が本書には網羅されている。「自然エネルギーは天気に左右されるため、電力供給量が従来の発電手段より不安定で、高コストだ。風力発電は周りに騒音被害を出し、鳥を殺す(バードストライク)こともあるので導入は難しいのではないか。地熱発電は温泉を枯らしてしまうのではないか。」このような懸念はどれも克服可能な杞憂に過ぎないこと、自然エネルギーは既存の発電手段よりずっとまともであることが本書で示される。


立場を異にする者同士が議論をするためにまず必要なことは、相手側の意見を理解することだ。さもなければ話はかみ合わない。意見が真っ向から対立する者同士が建設的な議論をするためにはなおさらだ。自然エネルギーの導入に反対する人は、この本に目を通した上で発言することが求められる。幸いにも非常に薄い本なので、忙しい方も一日あれば読めてしまう。エネルギー基本計画の作成にかかわるような政・財界人だけでなく、普通の市民にも一読してほしい。原発推進を掲げる政権を、選挙で選んだのは普通の市民の総意なのだから。「脱原発」を叫びながら、街中を騒音をならして練り歩くだけでは、原発推進側も容易に無視できるので事態は1mmも変わらないだろう。彼らが無視できないのは、反対側の掲げる論理に妥当性があるときだ。


現状の政策を批判する際には、代案をもって望むのが望ましい。自然エネルギーという代替案は、まだ原子力と対等に並ぶだけの選択肢としては成熟していないように思えるが、そんなことはない。年々太陽光および風力発電の発電費用は低下しており、ドイツやデンマーク、スウェーデンなど、自然エネルギー導入に先導的な役割を果たし、日々輝かしい実績を更新している国がいる。ドイツでは経済発展と自然エネルギーの普及を両立させ、デンマークでは総発電量の3割近くを風力が占めている。日本でも北海道・東北を中心に風車が、関東・西日本では太陽光パネルが続々と設置されている。自然エネルギーには化石燃料と違い地球温暖化による気候変動も、原発を使用する場合の有害かつ処理困難な廃棄物も、深刻な事故のリスクもない。


 本書を読み自然エネルギーのポテンシャルを知るにつれ、現代人が見過ごしていた太陽光、熱、風、水が、エネルギー資源であるという事実に目を見開かれる思いがする。エネルギー政策の是非を論じる前に、本書で最新の知見を共有してほしい。将来3.11と同様の事故を起こし得る原発に依存しなくて済む、安心できる持続可能なエネルギー供給体制を、これからは地域独占電力企業頼みでなく、地域の行政と市民の積極的な参画とコラボレーションで実現していくことだ。自然エネルギーは国の一存でなく、地域単位から始められる。
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12月8日の大阪府エネルギー戦略の提言 出版記念シンポジウム より作成

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/115593


・原発推進派のロジック論破×4(河合弘之

VS関西電力、原子力担当役員@株主総会


なぜ未だに原発を推進し、六ヶ所村に補助金を出しているのかという質問に対し、

「日本は資源小国だ。だから自己完結し、永久に使えるエネルギー、すなわちウラニウムを輸入し、再処理して、高速増殖炉で使う。こんな素晴らしいことはない。これでいくしかない」


→日本には無尽蔵の自然エネルギーがある。

諸外国の実績、科学的・技術的に考えても、本気で開発すれば再エネが普及するのは明らか。

 

VS電力会社


「原発再稼働しないと、電力不足する。そうなると救命装置がある病院で死人が出るぞ。」


→火力発電の稼働率を50%から70%に上げただけで現に電気は足りている。論より証拠。

 

VS安倍首相


「化石燃料の輸入により、年間3兆円の国富が流出している。これは忌々しき事態であり、原発再稼働により防ぐべきだ。」


→日本の国富は3000兆円あること、対外純資産が266兆円、年間GDPが519兆円があることを考えると、3兆円なんてどうということはない。日本の税収40兆円を持ちだして3兆円の大きさを強調する論は、ナンセンスだ。流出する3兆円は国ではなく民間企業が負担しているから。このように定量的に考える必要がある。さらに原発を使わなければ、ウラニウムを買わなくてもよくなり、お金が浮く。このことも併せて勘案する必要がある。

 

VS財界・政界


「いまや我々は“世界最高レベル”の安全基準をつくった。だからこの基準をクリアした原発から順に再稼働をすべきだ。」


→“世界最高レベル”の安全基準は実際は究めて不十分だ。福島の事故でも起きた、同時多発故障への対処が盛り込まれていない。さらに、重大事故があった際、域外に放射能を放出しないようにするという立地審査指針が削除されている。重大事故の定義が<放射能を外に飛び出さないような事故>となっており、これはトートロジーだ。今回の事故では、原発から45km離れた飯舘村でさえ汚染されている。論より証拠。

 

・小泉発言について

彼の賢い点は、「原発は危険だ」とは言わなかった点。なぜなら、そのように発言すれば、推進派はすぐに“世界最高レベル”の安全基準を持ちだして反論してくることが予想できたから。その代わりに彼は、反論しにくいロジック「放射性廃棄物を10万年も保存する場所が日本のどこにあるのか。現に未だに立地が決まっていないではないか。汚染物を後世の世代に残していいのか」という主張をした。彼の発言を受けて、自民党内でも動揺が広がっているという。

 

・東電破綻処理の議論について(古賀茂明)

当局の破綻させまいという方針はいつ決まったかと言うと、20115月に、原子力ムラと、経産省、銀行の圧力で為された説が有力だが、実は3月の段階で既に決まっていた。当時の松永事務次官が、三菱UFJのトップに対して、「東電を破綻させないから、融資してほしい」という密約を結んでいたため。さらに、当時の資源エネルギー庁長官が、当時の勝俣社長のものへ足繁く通い、「東電に免責の主張をしないで欲しい」と要請していたという。仮に東電が事故に対する免責の主張をすれば、東電に代わる責任の所在が取り立たされることになり、経産省としては都合が悪いからだ。彼らが破綻させたがらない理由は2つある。1つは、経産省に大企業の破綻を処理する能力がないからだ。ゆえにもし東電が破綻すれば、大変な混乱が起こる、JALやダイエーのケースでは金融不安が問題となったが、今回は特に電力供給がおぼつかなくなるという脅しをするようになる。もう1点は癒着である。東電が官僚にとっての天下り先ゆえ、東電に対して厳しい処理がとれなくなっている。


東電を破綻させない場合、その影響として被災(曝)者のための損害賠償費用が最小化されてしまう。企業である東電の破綻を防ぐために、東電の支出を最小化しようとするインセンティブがはたらくからだ。費用最小化のインセンティブはまた、汚染水対策で遮水壁などの対策を行うことを渋らせ、手抜き除染の遠因ともなっている。柏崎・刈谷原発の再稼働を急いだのも、再稼働をしないと国民の電気料金が上がるという触れ込みをしていることも、再稼働により東電の収入を増やすことで、破綻を避けるためである。現状では原発事故が起きても破綻させない(政府に守ってもらえる)という体制になっているために、原発の安全性がおろそかになりがちだ。


 東電を破綻させるべきもう1点の理由は、事故処理に要する国民負担を増加させるからだ。もし破綻処理をすれば、東電の株式は紙切れと化すため、その分の銀行の債券は賠償から外れることになるが、破綻しない場合、銀行が負うべき負債を全て国民が税金で賄わなければならなくなる。さらに電気事業法37条には、電力会社の社債を特別に保護するという定めがあるため、被災者の債権は保障されていない。そのためいま銀行はどんどん債権を電力会社の社債に振り替えている。したがって37条は廃止するべきだ。

 

質疑応答

①納税者として、原発廃止に要する費用が心配・・・一体いくらかかる?

大島「廃止にかかる費用≠国民負担費用。本来負担すべき電力会社達が払えばいいこと。」

河合「今すぐ廃止した方が安い。これ以上使用済み燃料が増えたり、また事故が起きたりなんかしたらさらに廃炉費用が上がるから。例えば1人1万円払って原発が卒業でき、日本全体が安全になるのなら、負担しようではないか。」

古賀「前述した電力会社の社債の優先規定を撤廃すれば、損するのは銀行で、国民全体の負担は減る。原発が安全だと信じる経団連などは、自分が保険をかければいい。万一事故が起きたら自身で補償するように。」

植田「今の総括原価制度という電気料金制度にも問題がある。被曝労働の問題も議論するべきだ。」

 

②安倍政権はトルコに原発を輸出しようとしているが?

古賀:いま原発を欲しがっている国(韓国、トルコなど)はどこも近隣諸国間で外交問題を抱えているために原発をつくろうとしている。例 対北朝鮮、イラン、インド、パキスタンなど。潜在的核兵器を売り歩く安倍総理は、死の商人のようなものだ。日本の原発輸出によって増える核のゴミ(使用済み核燃料)をどうするかという指摘に対して安倍総理は「日本で引き取る。六ヶ所村で再処理すれば、世界の核不拡散に貢献できる。」というロジックを既につくっている。経産省は既に根回しをはじめた。

 

飯田:いま原発輸出を進めようとしているのは政権内でも少数。安倍総理と今井などのその周辺の人達、そして経産省くらい。ヨーロッパで原発を建設中のフランスのアレバ社さえ倒産しかかっているくらい原発は儲からない。ましてや日本が途上国に建設し、利益を上げられるわけがない。話題になっているトルコへの輸出も、三菱重工はアレバ社の下請けをするだけである。

 

河合:トルコは地震大国だ。アメリカが国際裁判所に三菱重工を訴え約4000億円(三菱重工の利益の5年分)の損害賠償請求をしているように、万一事故が起きた場合の経済的なリスクは膨大だ。現在トルコは親日国だが、事故が起きても日本を許してくれるだろうか。

注: http://mainichi.jp/select/news/20131018k0000m020111000c.html


③今日のようなシンポジウムのメディア戦略をどう改善するか?

古賀:本日はIWJがネット中継しているが、最近IWJへの支持も減少している。スポンサーの影響が多大なテレビというメディアには、私のような人間は出られなくなっている。4や8チャンネルには私はもはや出られない。報道ステーションに出演した後には、テレビ局に対して政府の中枢から文句の電話がかかってくる。現在原発に関する番組は視聴率が下がっており、ますます取り上げられなくなっている。

 

飯田:震災後、「ネットワークでつくる放射線地図」の番組作りにディレクターとして参加した会津出身のNHKの人は最近番組を解散させられ、ニコニコなんとかとかいう番組に転向させられた。

 

古賀:一視聴者によるTV局への電話やメールは意外に効果がある。どんどんやってほしい。

 

④メルケルや小泉のようなトップの鶴の一声も大きいが、場の雰囲気も考慮するべきでは?

飯田:然り。論理とは別の次元で物事が進んでいる現状をどげんかせんといけん。

再稼働の裏の意図は、原発は安全だというお墨付きを与えるためのものであり、エネルギー基本計画も、電力会社の都合に合わせているに過ぎない。国民と、誠意ある政治家の出番だ。

 

古賀:そうは言っても3年間選挙ないからどうしようもないと思わないでほしい。統一地方選もあるし、都知事選もあるし(笑)、自民党の総裁選もある。河野太郎のような脱原発を唱える政治家を国民が選び、支援することだ。政治家は悪人でもなければ聖人君子でもない。普通の人の感覚を持っている。金額では企業に劣るが、一般市民による献金は政治家の良心に大きく訴えるものだ。小泉もいま国民の反応をうかがっているはず。彼の発言がどれほど波紋を呼んだか。大きな動きにつながったか。

 

菅:原発国アメリカでも今動きが起きている。カリフォルニアやNYやボストンで廃炉にしようとする動きも盛んだ。結局アメリカは電力のためではなく、核のために原発をやっているようなものだ。台湾ではTVCMで女性が原発廃止を訴えている。そのやり方は日本でも参考になる。地元の合意が原発政策に与える影響は大きい。頼まれれば私はどの地方へでも行くのでよかったら連絡してください。明日も函館で話をしに行きます。


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・人は自分の知力が及ぶ範囲で、この世界、物事の価値を理解できる。

・人は、自分が「知らない」ことは、まるで「存在しない」かのようにみなして振る舞う。
いいかえれば、問題を知れば、それを認知することができる。

・百聞は一見に如かず。想像は経験に如かず。
だが知ることにより、少なくとも他人の人生を想像できるようになる。

そんな思いで、2013年の飯舘村の現状を、
原発事故の直接の被害者ではない首都圏の人々に知ってほしく、これから記事を書く。


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飯舘村は、人口6000人の小さな村。
米やたばこ・酪農を営む高齢の農家世帯が多かった。
彼らの多くは、何世代も前から 先祖から土地を受け継いで暮らしていた。

2011年の原発事故により、
原発からおよそ30km地点に位置する飯舘村には、多くの放射性物質が降り注いだ。
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放射能が土地に降り注ぐことで引き起こされるのが、病の発症と死亡以外に、
人々の生活と共同体崩壊の危機」であることは、関東の人々には見落とされがちだ。

原発事故が起きると、村の土地や家には何十年もの間近づけなくなる。
放射能で汚染された土地には人は住めない。
低線量でも長年浴び続けると累積被曝量は増加するからだ。特に若い人ほどリスクは大きいという。

すると、以前は徒歩で気ままに話をしに行けた、近所の村民はいなくなってしまった。
飯舘村は全村避難が行われ、全国に村民が散り散りになったからだ。たまに帰っても誰もいない。子供たちは外で遊べなくなるし、友達とも離れ離れになった。
畑は使えなくなり、農業はできなくなった。米・野菜・牛乳・タバコなどは作っても買い手がいない。
ペットを置いて避難しなければならない世帯もいた。(注 仮設住宅にはペットは持ち込み不可だった。)長い間住んできた家を離れるという急激な環境の変化に耐えられず死んでしまうケースがあったからだ。


村に戻るには、何よりもまず除染が完遂しなければならない。人が定住しても致命的に有害にはならない程度の被曝量(年間1~20mSv)になるまで、土壌・大気中の放射線濃度を下げなければならない。具体的には田んぼの表面の土をはぎ取る、屋根の放射性物質を水で流す、木々を取り去るなどのことが行われている。ちなみに、まだ村では全体の1%程度しか除染が進んでいない。
http://josen.env.go.jp/area/details/iitate.html

慢性的に除染作業員は不足しており(自分から進んで被曝しにいこうとする者は少ない)、
除染した土や木、泥などの放射性廃棄物を保管する場所(最終処分場)についても決まっていない。
最終処分場が決まらないので仮置き場をつくろう、仮置き場を作る前にとりあえず仮・仮置き場をつくろう、その前に仮仮仮置き場だ、という不毛な事態が起きている。
除染の完遂には10~20年かかるといわれている。この所要時間の長さがネックである。

除染に時間がかかると、村民は村でなく避難先で新たに生活を築いていかなければならない。
「いつかは必ず村に帰りたい」と思っていても、当面の間、新たに生計を立てる術を得なければならない。

そこで飯舘の人は村の外、県外で土地を買う。
家を買う(ちなみに現在東電が引っ越した先の土地代や住居代を補償してくれる保障はないという)。
子供を避難先の学校に通わせる。仕事を探す。

すると、
10~20年後、除染が終了した未来、元村民たちは本当に飯舘村に帰ってくるか?

私は絶望的ではないかと考える。第一に避難先で立て直した生活を止めることに抵抗はあるだろうし、
仮に村に戻っても、以前の飯舘村の中心的な産業だった、米やたばこ、野菜などの農業・酪農が再び行える見込みは少ないからだ。除染が終わり、土の放射線度が下がったとしても、かつて汚染された土地で育てられた農作物を人々が抵抗なく買うとは想像しがたい。風評被害という、ネガティブイメージと戦うことになるだろう。高齢者の中には、自分の寿命が尽きる前には村が元に戻ることはないだろうと考えている人もいる。

このように、
原発事故が人々にもたらす真の被害は、被曝による健康被害(病・死)だけではなく、
将来への不安、急激な環境変化のストレス、
そしてそこから引き起こされる悲しみ・共同体を奪われた孤独なのだ。

現時点の科学的知見によれば、
高濃度の放射線被曝による、急性死やがんなどの死に至る病の発症は可能性が低いという。
100mSv以下の被曝量なら因果関係が認められないという。

そのようなリスクは、
年間交通死亡事故人数が一万人近くいるのに車に乗り続けてる社会、
自殺人数が年に3万人超えてる国では、
許容範囲ではないか。便益に比して受け入れるべきリスクではないか
と主張する人がいるだろう。

しかし、賠償金の額などには換算できない苦しみが人々の精神をそこない、生きがいを奪っている。
原発事故は、コミュニティーを消滅させる力をもっている。
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2011年冬に作成。



自分が始めて今回の原発事故について知ったのは、インドで買ったTimes誌上であった。当時は原発の仕組みも放射線の単位もよくわからず、とにかく大変なことが起きているということしかわからなかった。インドから帰ってからの日々は、毎日が苦しかった。多くの断片的な情報に混乱し、何を信じたら良いのかわからなかった。新聞やテレビの報道では安全が盛んに喧伝され、対照的にネット上では、東電や政府と報道機関はお金で深く結びついているため、肝心な情報は流さないだとか、混乱を避けるためという名目で国民の命を軽視し、事態を過小評価しているといった類の情報を目にした。日本の政府の言うこともメディアの言うことも信じられなくなった。 

それでも、帰国後は交換留学のための英語の試験の期日が迫っていたので、不安を紛らわすようにそちらに打ち込んだ。勉強の合間に、大学の図書館で原発に関する本を読むようになった。これからの状況・行動は、自分で判断するしかないと思ったからである。その中には、感情的な表現が目立つ本もあれば、体系的にわかりやすく原発、原子力や放射線について述べているものあり、少しずつ、今報道されていることが、どれほど重大なことなのかがわかってきた。

 

8月のお盆には、4日間だけ飯館村を訪れた。毎年帰省していたこともあり、祖母にも正月以来会っていなかったので、どうしても行きたかったからだ。行く前に自分が受けるであろう被曝量を計算し、多くても100μ㏜程度だろうということがわかったので、行くことにした。のちに飯館でプルトニウムが発見されたことがわかったため、行かない方が良かったのかもしれないが、現地の様子が見れただけでなく、祖母や帰省していた従兄・親戚とも話せたので後悔はしていない。田んぼには雑草が生い茂り、お店は全て閉まり、村民の姿がほとんど見られない以外は、村はいつもと同じように穏やかだった。放射性物質は、目には見えない。

 

大多数のみなさんにとっては、東北の福島で起きたことは、首都圏に住んでいる人には関係ないレベルの話なのかもしれない。しかし、僕にとっては決して他人事ではなかった。今回の震災で一番自分に影響を与えたのは、15m以上の津波でも、震度7の地震でもなく、福島第一原子力発電所での事故だった。祖母が原発から30~40kmの飯館村に住んでいたからだ。飯館村は、地震にも津波にも被害を受けてはいなかったにもかかわらず、原発事故のせいで、村民は家に住めなくなり、親戚もバラバラになり、産業は成り立たなくなってしまった。飯館村は、原発から30~40kmの地点にあるにもかかわらず、事故後に東南の風が吹き、高い放射線が検出されるホットスポットになってしまったのだ。村では毎時3~4μSvが検出されているのに、家に犬と猫を残している祖母は、今でも2日に一度は仮設住宅から飯館村へ、餌をやりに帰っている。祖母は「どうせもう年だから放射線を浴びてもそのうち死ぬのは変わらないからいいよ」という。

 

原発事故および今後の政策についての論争でポイントとなるのは、少量の被曝量では、「ただちに健康に影響はない」ことだと思う。ある人が少量の被曝した際、将来がんにかかるかどうかは、確率の話でしかないのだ。今回の事故で放出された放射性物質による外部被ばく、内部被ばくが原因で、今後数十年の間に関東圏でがんにかかる人は大幅に増加すると予想されるが、発症の原因が原発事故であったかどうかの因果関係を国が認めるまでには、大変な時間がかかるだろう。


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