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(全部引用・お気に入り編)

①市民ボナパルト(ジョセフィーヌ)へ

ニース、共和暦第4年芽月10日(1796年3月31日)

私は1日たりとも君を愛さずに過ごしたことはない。一晩たりとも君を腕に抱きしめずに過ごしたことはない。一杯のお茶でさえも、いとしい君から私を遠ざけている栄光と野心とを呪わずに飲んだことはない。いろんな用務のただ中にあっても、部隊の先頭に立っていても、営地を駆け回っていても、熱愛するジョセフィーヌだけが私の心にあり、私の頭を占め、私の思いを奪っているのだよ。ローヌ河の激流のような速さで私が君から遠ざかるのも、君との再会を急ぐためなのだよ。夜中に起きて仕事をするのも、やさしい君の到着を数日早めることができるかもしれないと思ってのことなのだ。

それだのに、風月23日付と26日付の手紙では、君は私をよそよそしくもvousと呼んでいる。ほかならぬ君が私をvousと呼ぶだなんて!ああ!いけない女よ!どうしてあんな手紙が書けたのだろう!あの手紙はなんて冷たいのだろう!・・・ああ!2週間後にはどのようなことになるのだろう?・・・私の魂はさびしい、私の心は恋の奴になっている。おして私の想像は私をおびやかす。・・・いつか、君は私をもはや愛さなくなるのだろう、それならそうといってくれ、私はせめて不幸に値するだけの人間にはなれると思うのだ。・・・

私にやさしい愛情を覚えさせて私を「自然」へ赴かせるかと思うと、雷のようにとどろく激しい衝動を覚えさせる妻よ――私の愛する、私の恐れる妻よ、苦痛よ、幸福よ、希望よ、私のいのちの原動力よ、さようなら。私は君に永遠の愛を求めるのではなく、貞節を求めるのでもない、ただ・・・本当のことを、限りない率直さを、求めるにすぎないのだ。君が、「わたくしはあなたを以前ほど愛していないのよ」という日は、私の愛の最後の日であるか、私の生涯の最後の日であるだろう。報われなければ愛せないほど私の心がさもしいものであったら、私は私の心をこの歯で切断するだろう。ジョセフィーヌ!ジョセフィーヌ!私が時々君に言ったことを思い出しておくれ、私は強い果断な魂を恵まれているのだ。ところが君はレースと薄絹とで出来ているのだ。君は私を愛してくれなくなったのか?・・・

②ジョセフィーヌへ

ケル―ブレ、花月10日(1796年4月26日)

私の幸福は君が幸福であることだ、私の喜びは君が陽気であるということだ、私の楽しみは君が楽しみを持っているということだ。これ以上の献身と、情熱と、愛情とをもって愛された女はかつていなかった。一人の人間の心をこれ以上完全に支配して、その人のすべての趣味と好みを左右し、その人のすべての望みの根源となることは決してできることではない。私はこのように君にくびったけだが、君の方はそうではないというのなら、私は私の盲目ぶりを嘆き、君に良心の呵責をおぼえてほしいばかりだ。そして私は苦痛のために死にはしないとしても、これからさきは生涯にわたって傷つけられて、私の心はもはや喜びや楽しさの感情に向かって開くことはないだろう。私の生活は単なる肉体的なものにすぎなくなるだろう。君の愛、君の心、君という素晴らしい者を失っては、生活を愛すべきものいとおしいものにしてくれる一切のものを失ったことになるからだ。

私のいのちである妻よ、どうして私がさびしがらずにいられよう?君からの手紙はこない、君が私を愛してくれていたら、日に2度は手紙を書いてくれただろうに。しかし君は早くも朝の10時から、気障な訪問客たちとおしゃべりをし、それから無数の青二才どものくだらない話や馬鹿げた話を夜中過ぎの1時まで聴かなくてはならないのだね。風儀の正しい国々では、早くも晩の10時には、だれでも自分の部屋に引き取っているものだ。そして、そうした国々では、妻たる者は夫に手紙を書き、夫のことを思い、夫のために生きているものだ。さようなら、ジョセフィーヌ、君は私にとっては説明のできない化物だよ・・・私の君に対する愛は日に日に募るばかりだ。不在は小さな情熱を癒し、大きな情熱を募らせるものなのだよ。君の口の上に、或いは君の心臓の上に、接吻を送る。私のほかには誰もいないだろうね?それから、君の乳房の上にも口づけを。ミュラは何という幸福者だろう・・・・可愛い手よ・・・ああ!君が来ないのなら!!!

③同じくジョセフィーヌへ

ヴェローナ、共和暦第5年霜月3日(1796年11月13日)

私はもはや君を全く愛しない、それどころか、君を憎む。君は卑しく、いかにも不器用で、いかにも馬鹿で、いかにも汚らしい。君は一向に手紙をくれない、君は夫を愛していない、君は君の手紙が夫を喜ばせることを知っているくせに、殴り書きのわずかな6行からなる手紙さえ出そうとはしないのだね!

奥さん、あなたはいったい、1日中何をなさっているのですか?どんな重要な要件があればとてあなたのお人よしの夫に手紙を書く暇もないのですか?あなたが夫に約束した愛、あのやさしい変わらない愛を窒息させ、のけものにしているどんな愛情なのですか?あなたの時間を独占しあなたの日々を思うままに動かして、夫のことにかかずらう暇をあなたに与えないその素敵な、新しい愛人はいったい誰なのですか?ジョセフィーヌさん、気をつけられるがよい、一夜、戸を蹴破って、私が闖入するかも知れませんよ。

妻よ、私は実際、君の便りがないので心配しているのだよ。早く4ページばかりの手紙を書いて、私の心を愛情と喜びとで満たしてくれるあの愛らしいことどもをいっておくれ。近く、君をこの腕に抱きしめて、赤道直下のような燃える接吻を浴びせることができると思う。

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by healthykouta | 2017-04-21 11:33 | Comments(0)

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他称理想主義者「雄弁術(自分の主張を相手に説得する技術)は嫌いだ。あらかじめ用意された結論に導かれるのは気に入らない。議論の勝ちに拘って、妥協することは最初から選択肢になく、自説の正しさを疑わず相手に押しつける姿勢が不愉快だ。大声出して怒っているように振る舞うことで、相手を支配しようとするのも嫌いだ。それを話し合いとは呼べない。交渉が雄弁術の応酬に堕ちるのを何度も見てきた。

雄弁術の対極には、弁証法(問答法、ギリシャ語でダイアローグ)がある。不完全な人間は、一人だけでは真理にはなかなか至れない。相手が間違っていると思っていても、自分も真理に至っている保証はない。相手の議論を最後まで聞き、そこに内在する矛盾を指摘し、疑問を投げかけて落ち着いて対話する。そうすれば、お互い自分たちの矛盾に気づいて、内発的に考えを改める。相手から疑問を投げかけられたら、同じように応答する。そうやって相互に発展して、真理に至ればよい。プラトンの本の中のソクラテスほど徹底的に弁証法を行うのは難しいけど、少しでもあれに近づけた方が雄弁術よりはいいと思う。」



自称現実主義者「綺麗事言ってんじゃねえ。交渉の目的が「自分たちの利益の最大化(自分たちの正しい言い分を相手に理解させ認めさせること)」であって、「交渉の結果はどうなってもよいから(片方の主張の棄却であれ、双方の妥協であれ)とにかく建設的な話し合いをすること」ではないのから仕方ない。宇井純(196877)は、水俣病の被害者は、乱入、乱闘という段階を経て大騒ぎしないと、国やチッソから有利な妥結条件を引き出せなかったと指摘している。彼の考えが常に成り立つとしたら、交渉では早々に妥協するよりとにかくゴネた方が最終的に自分たちの言い分が認められやすく得だということになる。交渉において争っているのは「真理」の在り処ではない。双方の「利害」を調整しているだけに過ぎない。」



他称理想主義者「交渉に臨む双方がそれぞれ異なる考えに基づいて「自分たちの利益だけを最大化」しようとしていたら、交渉は不毛な平行線に終始するだろう。ゲーム理論で有名な「囚人のジレンマ」の話を思い出してほしい。お互いが得をするような戦略があり得ると思うんだ。そのゼロサムゲームを超えた状態は、交渉前に自分らだけで考えたアイデアをベストだと信じてその実現に固執するのではなく、双方での建設的な話し合いを通してはじめて発見し得ると思うんだ。私はそれを“交渉における真理”と定義したい。信頼関係がないから対話ができないと言うのなら、まず対話の成立を通して信頼関係を育めばよいではないか。」


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by healthykouta | 2017-04-21 11:02 | Comments(0)