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あっさりパタパタ死んでしまうニワトリのヒナたちを見てから、自分の死生観を変えてくれる考えをずっと探していた。一個体の死にいちいち心を乱されたくなかったのだ。かといって既存の宗教の教義は、どれもうさんくさくて信じられなかった。人間が極楽浄土(天国)に行けるとして、ニワトリは?細菌たちは?いろいろ本を読んだ結果、ダーウィン以降の生物学が私を救ってくれた。自然淘汰と突然変異だけでは依然として弱肉強食観から抜け出すことができなかったが、淘汰の単位を個体ではなく遺伝子とみるべきだという仮説を立てたドーキンス、ウイルスは遺伝子をかきまぜる役割を果たしていると教えてくれた中屋敷さんの「ウイルスは生きている」、この2冊によってそれはかなえられた。

生き物の単位である「個体」を一人(一匹)とみなすのが間違っていたのだ。その定義での個体は必ず死ぬ。ただ、遺伝子は、古来から現在、そしてこれからも乗り物である個体を次々に乗り換えていく。千年パズルが宿主を変えていくがごとく。従来の意味での「個体」の中には繁殖・複製できずに死んでいくものがある。ああ哀れ。従来そのような個体は子孫を残せないということで同情の対象だった。しかし彼らも死後は微生物に分解されて、ミミズに食べられて、植物に吸収されて、とにかくなんらかの経路で、その個体だったものは別の生き物の遺伝子にとりこまれて永続している。消えてなくなる遺伝子もあるが、そもそも世界はひとつの遺伝子が自己を複製するところから始まったのだ。ミクロの世界の観察は人間にこの仮説を示した。

この世界を、自己複製能力を持った遺伝子が、様々な形の容れ物に入ってひしめきあっているという風に眺めると、がらりと見え方は変わる。従来の個体観(①物理的に一つながりとなっている。②それを構成する細胞が同一のDNA情報を持っている(自己増殖の単位)。③一つの中枢神経系(脳情報)により全体が統合されている。)は人間の脳が見せる錯覚だ。「自己細胞のDNA情報を後代に引き渡す」ことが生き物の「肝心」であって、人間としての生は「特殊」である。だから弱肉強食という世界観も錯覚である。ただ遺伝子を乗せた生き物同士が「闘っている」ように見えるのは事実。ウイルスと動植物は侵入・変異・撃退を繰り返している。だがそれも遺伝子同士のせめぎ合いに過ぎない。生物を攻撃しているように見えるウイルスは、実は遺伝子をかきまぜる役割を果たしているだけなのだ。

この考えは私にとってコペルニクス的転回であった。これを知ると、従来の死生観を強化するような本はすべて不要に感じられた。既存の宗教も(ただ仏教の輪廻というアイデアは遺伝子の挙動とも親和性がある)。ドーキンスが「神は妄想である」と言いたくなる気持ちもわかる。まあ神は「ヒト」ではなく「人間」の脳の産物。「人間」は整合性のとれた世界観を必要とした結果、ついには自ら神という概念と諸物語を作り出しただけなんだけどね。「人間」として生きるわれわれは、いつしか「ヒト」であることを忘れた。「ヒト」であることを否定するかのごとく、避妊具を発明し、脳の報酬系を刺激することに熱中しだした。子孫を残さず、生涯独身で通す者も出てきた。これには遺伝子さんも苦笑い。脳が自らを個体の主人であると錯覚してしまった。本当は遺伝子なのに。だが人間として生きるか、ヒトとして生きるかを私たちは選べる。他のあらゆる動植物と異なり、人間のみが自らの生に意味づけをする力を持っているようである。生物の「本流」としての遺伝子のめくるめく旅に乗るも乗らぬも自由。

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# by healthykouta | 2017-01-29 20:18 | 読書 | Comments(0)

ぼく「鶏は馬鹿だ。鳥なのに飛んで逃げる力を失ってしまった。翼が手になることもないみたいだし。」

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鶏♂「結構!(馬鹿はお前だ。これは環境への適応なのだよ。人間の家畜となることで、労せずして餌にありつけ、外敵からも身を守られて、わが種は大繁栄よ。飛ぶ力をキープするためにはなあ、体重をうんと軽く維持しなけりゃならねえんだ。人間様の世界の言葉でいうダイエットってやつだな。他の鳥達は飛べる代わりに一日中ひっきりなしに虫などを探し回り、小腹を満たし続けなければならない。スズメやセキレイを見てみな。あんな風にせかせかした生を送るなんてオレたちゃごめんだね。羽は意外とあったかいんだぜ。保温効果ばっちりよ。それに我々にとってはクチバシが手の代わりみたいなものだ。)」

ぼく「鶏は馬鹿だ。家畜になったために人間の都合で寿命いっぱい生きられず、オスは肉が柔らかい頃、メスは卵が産めなくなったら食べられてしまう。」

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雛(性別不詳)「ピヨピヨ!(愚かなる人間よ。これは生存戦略なのだよ。なぜ一個体が寿命いっぱい生きる必要があるのかね?異なる種の幸福観に付き合わされる身にもなってほしいね。我々は種として持続すればいいのよ。人間様の世界の言葉でいうチクサンギョウとかいうやつに従っている限り、我々の出生率と個体数は膨大なのである。身動きできない小屋の中で育てられるのはたまらないけどな.

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烏骨鶏♀「人間は馬鹿よ。なんで隠れてあんなに長時間交尾をするの?理解できない。なんで一夫一妻制なの?なんで排卵期以外にも交尾をするの?なんで殻付き卵を産まないの?なぜ嫉妬という感情があるの?なんで殺し合うの?なぜ一個体の死を嘆くの?なんでそんなに体毛がちょっとしかないの?なんで独り立ちできるようになるまでにそんなにモラトリアムが長いの?なんであなたの種の価値観で私たちを評価しようとするの?脳ミソが無駄にデカイ生き物の考えることはつくづくわからない。(滑稽だわ!)」

ぼく「鳥がしゃべった!!!」


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# by healthykouta | 2016-12-19 11:39 | Comments(0)

電力会社の利己的な動機から出たアイデアが、日本を救う(?)


利他的な動機を持たなければ、利他的な結果が生まれないとは限らない。アイデアの質と動機に必ずしも相関はない、という面白い展開がみれた。


電力会社は、今後の低炭素化の世界的潮流に対応したエネルギ―供給を可能にし、人口減少と少子化で衰退する地方を救うためには、ドイツのように自治体が新たに電力会社をつくり、配電線をつくり、再エネは送電線に流すのではなく、地域で消費させる、地産地消的なやり方がよいとしている。


なにより面白いのはそれが、自由化された未来で自社の生き残りを懸けた日本の電力会社が、自由化が先行した欧米のような展開になった場合に自分たちの組織維持が困難になることを見た上で、そうならないよう、電力会社がつぶれないような、別の未来をつくりあげたということ。そしてそれが日本全体にとってもいいような公益性も兼ね備えているようにみえるということ。苦肉の策が、起死回生の逆転の一手になった。


これまで日本の電力会社は、自由化を遅らせて、改革を遅らせて、技術が開発され、欧米の経験・知見が蓄積するまで、いわば欧米には自然実験をさせてその帰結を見届けて、粘って粘って時間を稼いだ。だからこそ浮かび上がってきた代案。見事と言うしかない。日本はこの点で、決して世界に先んじることがなかった。世界のリーダーではなかった。「日本辺境論」で内田樹が言うように、日本は常に外からのアイデア・文明をキャッチアップしてきた。ただし既得権を持つ集団を損ねないようなやり方で、歴史を選択的に学び採用した。これが内田のいう日本人の「疾病利得」=後発者の利益ではないか。


「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(加藤陽子 著)で、「外交政策の形成者は、歴史が教えたり予告していると自ら信じているものの影響をよく受ける」といったアメリカ人の歴史家アーネスト・メイの言葉を引用しているが、まさにこれである。ただし、アーネスト氏はこの原理を、「なぜアメリカは最も頭脳明晰で優秀な政策担当者がいながら、ベトナムに介入し、泥沼にはまるような決断をしたのか?」という問いに答えるために用いて、「政策形成者は通常、歴史を誤用する」と述べているが、電力会社は、同じ轍を踏まないように、歴史を上手く用いているようだ。


このビジョンは、電力会社にとってのみ利益なのではなく、一見公益にもかなっているようにみえる。災害に強く、少子化・人口流出に悩む地域の衰退を止める新たなまちづくりにつながり、低炭素社会の実現にもなる!という大義がある。


同時に電力会社の望ましくないシナリオを避けられる。そのシナリオとは、電気という財の販売をめぐって新電力と競争が激化すること。今後人口が減り、総電力需要量(電源の消費量)が伸びないことはもう間違いない。しかも再エネの固定価格買取制度(FIT)の賦課金の増加により、自家発電の経済性が高まると、どんどん消費者は電気を自給しだす。するとますます電力会社の販売量は下がる。一人当たり電力消費量の増加も期待できない。(熱(ガス化)・交通(電気自動車)面でオール電化は推し進めるけど、余地は多くはない)そんなときに電力会社が送電線投資なんてしてられっかよ。投資費用回収不可能。さらに投資したら、競合他社の再エネがますます入って自社のシェアは減る。競争上不利になる。だから送電線投資は絶対したくない。避けたい。投資はコスト。カットの対象。送電線投資が望ましくない理由を、「託送料金(電気料金)が上がるから」と消費者の立場をおもんぱかってるようなことに言うが、そんなことになったらますます自家消費がすすんで電力会社の販売量も落ちてしまうという事情も隠れている。負のスパイラル。アメリカの電力会社が直面していることである。それを日本の電力会社は学んだ。


再エネを電気として扱うと競合する。広域で融通して取引させるとシェアが奪われる。だからそうならないように、地産地消にする。これがクラスター構想。マイクログリッドの本質ではないか。というか舞台裏。そして再エネ電気は地域で熱に変えたり、水素に変えたりをすすめる。これで、肝心のお得意様である産業用大規模需要者には依然として売れる。主要な収入源。そして再エネたちには、地方で供給させる。グリッドにのせない。石炭をベースロードで、負荷追随させずに運転できる!高効率で競争力維持!販売!安定収入!新電力には負けない!このビジョンでいくなら「ベースロード」が蘇る。電源間の役割分担。


貫徹委員会では、電力会社の販売量が減少しても収入を維持できるように、収入多角化戦略として、kw価値をもらう(容量メカニズム)。原発など低炭素に価値を認めてもらって支払(補助金)を受ける。ベースロード電源を切りぬいてメリットオーダー効果による押し出しを避ける。


組織の利害にとらわれずに済む研究者は、このビジョンが本当に最も望ましいのかよく考えてみなければならない。一見win-winであり、共存共栄が図れる夢のようなアイデアだが、はたして本当にできるか、全体にとって最適なのかどうか。欧州のように、送電線を増強投資し、発送電分離を法的分離以上に推し進め、再エネはグリッドに受け入れて広域連係をがんがん行うことで吸収・需給調整を行うというやり方と、どっちがいいのだろうか。これからの日本にとって。


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# by healthykouta | 2016-11-28 19:46 | 震災 | Comments(0)

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マザー・テレサが亡くなってから18年後の3月、私はカルカッタにある「死を待つ人の家」にいた。彼女に関する、ある素朴な疑問を解くためだった。マザー・テレサは、貧しいインド人たちに対して善行を施したことで知られているが、それは余計なお世話ではなかったのか?というものだ。


インド人独特の「輪廻」に基づく死生観は、前世の業(カルマ)が現世の生を決定するという。行為は、行われた後に、なんらかの余力を残し、それが次の生においてもその結果をもたらす。この結果がもたらされる人生は、前世の行為にあり、行為(カルマ)は輪廻の原因とされる。生き物は、行為の結果を残さない、行為を超越する段階に達しない限り、永遠に生まれ変わり、生まれ変わる次の生は、前の生の行為によって決定される。 天国での永遠の恩寵や地獄での永劫の懲罰といった、この世以外の来世は輪廻のサイクルに不均衡が生じるため、ありえないことと考えられた。これが、業(行為)に基づく因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得)であり、輪廻の思想と結びついて高度に理論化されてインド人の死生観・世界観を形成してきたのである。(wikipediaから中村元『原始仏教:その思想と生活』日本放送出版協会〈NHKブックス〉2007年 の孫引き)』


この思想に基づくと、「現世で不遇な生を送る人間の原因は、前世で何か悪いことをしたことにある。よってそれは自業自得であり、他人は手を差し伸べるべきではない」という考えが導けるのではないか。ヴァラナシからカルカッタに向かう電車のプラットホームで、行き倒れになっているお婆さんをみた。その光景自体が衝撃的だったが、もっと衝撃的だったのは、そのお婆さんがまるで存在しないかのように、傍を通りすぎていくインド人たちだった。電車が来るまではまだだいぶ時間があるのに、なぜ誰も彼女を助けようとしないのか?赤の他人に無関心なのはなぜか。あのお婆さんが前世で何か悪いことをしたから、その報いを今受けているのだ、とインド人は考えているのだろうか。輪廻を前提にすると、今の生が終わったところで、また生まれ変わって次の生が始まるという流れを繰り返すだけだから、死は終わりではない。ゆえに輪廻の流れに手を加える必要はないと考えていたのだろうか。その後電車の中で知り合ったアメリカの大学で経済学を学んでいるという若いインド人に質問すると、今のインド人は自分が豊かになることで精いっぱいで、他人に優しさを施す余裕がないからだ、と言っていたが。。。


インドに行ったことがない人にも、マザー・テレサが何をした人なのかはよく知られている。

“スラムを歩いていたマザーは、道端に転がっている者に気づきます。近づくと、それは行き倒れになった女性でした。 わずかに女性の指が動きました。「まだ生きている。」死にかけた人が道端に放置されていることにマザーは驚きます。 すぐに、マザーは女性を病院に運びます。しかし、病院の医師は女性を見て言いました。「だめだ、こんな人間はコルカタに何百人もいる。」マザーは諦めずその場から動きません。 医師はマザーに根負けし、女性は無事病院に引き受けられました。しかし、マザーの心には医師の言葉が突き刺さっていました。「そんな人間は何百人もいる。」道端で人が死ぬことが当然とされる社会と人々の心。最も貧しい人たち。その存在にマザーは気づきます。ただ、物質的な貧しさだけでなく、誰からも愛されず見捨てられた人。この人たちこそ自分が救わねばならない。


早速、マザーは行動に移します。 市役所を訪ね、路上で死にかけている人々を見取る場所を提供して欲しいと訴えました。 マザーの熱意に動かされた役人は、ある場所を紹介してくれます。それは、コルカタのヒンドゥー教の聖地、カリー寺院でした。 その休憩所を、使われていないからという理由で貸してくれたのです。早速、マザーたちは路上で行き倒れている人々を引き取り介抱します。衰弱が激しく、自分で食べることの出来ない人の口に食べ物を運びます。 そして、助かる見込みが無くても薬を与え、出来る限りの治療を施しました。後にマザーは語っています。「誰からも見捨てられた人々が、せめて最後は大切にされ、愛されていると感じながら亡くなってほしい。 彼らが、それまで味わえなかった愛を最上の形で与えたい。」施設の名は、『死を待つ人々の家』。誰からも見捨てられた人たちが、人間として尊厳ある最後をむかえる場所です。(http://waratte.nosmilenolife.jp/edn/edn081220.html)


マザー・テレサは、「誰からも見捨てられた人々が、せめて最後は大切にされ、 愛されていると感じながら亡くなってほしい。彼らが、それまで味わえなかった愛を最上の形で与えたい」という思いから、死を待つ人の家を用意し、当時今よりもっと沢山いた生き倒れになっている人を収容し、死ぬまで世話をした。彼女の行為は、キリスト教の教えに基づいていた。そしてその献身は、世界中で多くの人の心を動かした。日本にいたころ、東京の主要な駅でホームレスを見ても、声をかけることもできなかった自分とは天と地以上の差があった。

 

たった1日だけだったが、死を待つ人の家でボランティアをした。そこで私が担当になったのは、お腹に末期ガンがあり、寝たきりになっている、もう骨と皮だけの、骸骨のようなインド人だった。名前はわからず、ただベットの上に「20」という番号が書いてあるだけだった。私の仕事は、部屋の掃除や、彼の身体に軟膏を塗り、食事の時間に彼が食べるのを手伝うことだった。私はヒンディー語はもともとわからなかったが、彼もそれを知っているのか話す気力もないのか、言葉を発する代わりに身振りで指示をした。


彼は食べようとしなかった。もう自分は助からないことを悟り、食べないことで死のうとしているのだ、と思った。私はそれでも無理やり彼に食べさせるべきなのか迷った。それをやることがまさに仕事だったのだが、彼が自分の命を思い通りに終え、病の苦しみから解放する権利があるのではないかと思ったからだ。結局私は本人の意思を尊重して、無理やり食べさせようとはせず、彼の指示するままに、ベットの下に皿を置いた。しかしシスターに相談すると、「彼はいつもああだから」と言って、むりやり彼の口に食べ物を流し込んだ。彼はむせかけながらカレーを飲み込まされた。マザーハウスに来たばかりで「ここのやり方」を知らぬ身としては、それが正しいことなのかどうか、そのとき私はシスターに問うことが出来なかった。


既に3週間ボランティアしていて、今日が最終日だというフランス人は、彼が食べようとしないのは死にたがっているからではなく、単に食べ物が美味しくないからだと考え、明日彼のために市場でバナナを買ってくると笑顔で言っていた(注:本来施設で提供されるモノ以外の食事を与えることは禁じられているが、ボランティアを一定期間続けた者は、最後に一つそのルールを破ることができるという。本来禁じられているが、施設内の写真を撮ることもできるという。彼はその権利を、バナナを買うことに使おうとしていた)。私はあげないほうがいいのでは?彼もそれは望んでいないのではないか?とは言えなかった。


物心がついたばかりの子供が世の中に絶望して死を望むことはある。そういうとき、間違いなく親や学校の先生は止めるだろう。子供は後になれば、あれが一時的な気の迷いだったと悟るかもしれない。だが、あのNo.20のケースはどうなのだろうか。彼は無理やり食べさせられている間、「愛されている」と感じられただろうか。明らかに「死を待つ人の家」では、もう手がつけられなくなるまでは積極的に延命させることを方針としていた。「死を待つ」という看板に偽りはなかった。彼のように末期の病気ではない、別の元気な患者たちは、自分が路上で発見・収容された当時の自分の写真を見て、治療を施された今の自分と比べて、「これが俺だぜ(今とは別人だろ?)」という感じで笑い合っていた。本人も嬉しそうだった。


マザー・テレサは、人道的観点からはとてもいいことをしているように思えるが、「死の待ち方」に関する考えが異なる他者への行為の面で、難問が浮き彫りになっていた。

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おととい、たまたま鴨川近くの通りで、上御霊(かみごりょう)神社のお祭り(御霊祭り)に遭遇した。白いはっぴを着た男たちがみこしを担いて、「えらやっちゃ!えらやっちゃ!」 という掛声を繰り返しながら神輿を上下に振り、神輿の上に付いた大きな鈴を鳴らしていた。日本人は神社で鈴を鳴らしてから祈る習慣を持っているが、どのような歴史的経緯・理由でそのような所作になったのだろうか?

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神社本庁のHPによると、『社頭に設けられた鈴は、その清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています。』とある。(http://www.jinjahoncho.or.jp/iroha/omairiiroha/suzu/)

神社オンラインネットワーク連盟によると、『一説によると、古来から鈴には魔除の霊力があるとされ、それが転じて、神事のときに鈴を鳴らすようになったようです。 巫女(みこ)が神楽舞(かぐらまい)を舞うときに、手にもって鳴らす神楽鈴(小さな鈴を山型に並べた鈴)、その音には神さまをお招きする役割があったそうです。 つまり、神前で鳴らす鈴も、この神楽鈴に由来するとされ、神さまを拝礼するにあたり、鈴のその清らかな音色で神さまをお招きし、これから祈願を申し上げるという、一種の合図のような役割を果たしているのです。 』(http://jinja.jp/modules/chishiki/index.php?content_id=109)

まとめると、鈴には、
・古来から魔除の霊力があり、
・参拝者を敬虔な気持ちにさせ、
・神さまをお招きする役割があるという。

でも、なぜ鈴には魔除けの霊力が宿ると昔の日本人は考えたのか?については情報がない。いまから5日前の出来事に、この問いに答えを得るヒントがあった。5月15日には、京都・三大祭りのひとつ、葵祭(賀茂祭)が執り行われていた。

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葵祭の起源は、今から約1400年前の欽明天皇(在位539~571、筆者補足:百済から仏教が伝わったときの天皇)の頃に、国内は風雨がはげしく、五穀が実らなかったので、当時賀茂の大神の崇敬者であった、卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)を勅使として、4月の中酉の日に祭礼を行い、馬にはをかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったことだという。(引用元:https://www.kyokanko.or.jp/aoi/enkaku.html)

つまり、たまたま当時、卜部伊吉若日子 (うらべのいきわかひこ)という人間が鈴を馬にかけて振ったら、それまで苦しめられていた災害がピタッと収まったから、その後も鈴に不思議な力があると信じられていったのではないだろうか。いいかえると、この偶然経験された成功体験が、きっとその後も鈴が信仰されることになった本当の理由だと思う。だとすると、もし卜部伊吉若日子 が馬に鈴ではなくコマネチをしていたら、現代日本では参拝者は鈴を鳴らす代わりに神前でコマネチをしていたかもしれない。よかった。ドラえもんでもこういう話があった気がする。

わたしたちは、ルーツを知らずに、単に他人の模倣から行っている習慣をもつ。神社で鈴を鳴らしたり、祇園神社・下賀茂神社が有名だから、「世界遺産だから」行ったりする。しかし、なぜそれを鳴らすのか?それにどんな意味があるのか?なんでこの場所は有名なのか?という素朴な質問さえ発すれば、今やネットの力を借りて、簡単に答えへのヒントへアクセスすることができる。目の前の現象にメスを入れ、その背後に潜む歴史へとたどり着くことができる。わたちたちが日常目にし、手で触れ、耳で聞く、あらゆるものに歴史は隠れている。特に語源の理由、有名の理由、行事の理由などに典型的に。それを探る行為は、テーブルの下から手品のトリックを見上げるときのようにたのしい。対象に関する知識が背景にあったほうが、目の前のモノをより楽しめる。

以下は京都にまつわる雑学。

ところで、上御霊(かみごりょう)神社のお祭りは、何の祭りなのだろうか。当初はマイナーなお祭りかと思ったが、由緒を調べてみてびっくりした。1300年前の平安時代の初期にルーツがあるという。そして桓武天皇というビックネームにたどりつく。上御霊神社は、早良(さわら)親王(750~785)=桓武天皇の弟!(当時皇太子)を祀る神社だ。彼は、藤原氏が政権を握るための政争(785年、藤原種継暗殺事件)に巻き込まれて流罪になり、その後、淡路に連れていかれる途中で絶食して自害?したという。その後、都で不吉なことが続き、その原因が彼の「祟り」にあると当時の人々に恐れられたため、淡路島から奈良の大和に彼の墓を移すだけではなく、祟道天皇という「尊号」(これ、つまり生前は天皇になれなかったから、ごめんなさいの意味をこめて、ってことか)を贈り、上御霊神社を建てたという。奈良時代~平安時代の初期ごろ、人に恨みを残したまま無実の罪・疫病などで非業の死を遂げたとき、死後人々に祟るとされた怨霊の存在を信仰する御霊信仰がはやったらしい。863年にはじめて御霊会(ごりょうえ)が宮廷行事として神泉苑で行われ、上、下の御霊神社が設立された。菅原道真は有名な例。祇園も御霊信仰の中心地。

こんな由緒を、おそらく今日の祭りの参加者の多く、特に神輿をかついだドカタ風の兄ちゃんたちは知らないだろう。今や祟りなんて信じている人はいない。だいたい祟りって何年祭りを繰り返したら、早良親王は許してくれるって話だし。ではなぜ京都市の人々は、今もこの祭りを行うのか?と聞けば、「代々受け継がれてきた伝統行事だから」と答えるかもしれない。いや、それだけではないだろう。もっと別の、彼らにとっていい理由があるはずだ。祭りには、地域の団結を強化する機能があると思う。定期的に集まることで、絆を深め、自治意識の向上が期待できる。そしてハレの日として騒ぐことで、日頃のストレスを解消できる。当初の信仰は消え、祭は世俗化したが、依然としてその慣習は続いている。そして日本人はちゃっかりしている。太宰府でまつられている菅原道真の祟りを恐れ参拝する人は今やいなくなり、彼が「学問の神様」として単に受験生の崇拝対象になっているように、日本人は当初の意図は無視して、都合に合わせて利用目的を変えているように思える。

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# by healthykouta | 2016-05-20 20:06 | Comments(0)