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ショーペンハウエルの幸福論

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・ショーペンハウアーだけあって、緒言からしてひねくれている。
彼は、自分の哲学が否定している迷妄的な考えを、あえて前提にして大衆に迎合する形で幸福論を書くという。 その迷妄的な考えとは、「人間は幸福になるために生きている」という考えだ。
なぜわざわざそんなややこしいことをしたのだろう。
当時生活に困っていたから、売上ほしさに大衆の望む言葉をあえて書いたのだろうか。 そんな器用なことが出来るのだろうか。 一体誰が心にも正しいと思っていないことを、つらつらと一冊の本にまで書き上げることができるだろう?

ひょっとしたら彼も幸福になれるかもしれないと心のどこかでは信じていたのではないかと思う。
本作の本文にあるように、人のありかたが優れており、精神的享楽を享受でき、哲学的思索をするのに十分な余暇を獲得し、心がいつも朗らかで、そしてなにより健康であれば、幸せといってよいのではないのか。
これを確かめるには、彼の主著である、「意志としての世界と表象としての世界」を読む必要があるだろう。私は未だに読んでいない。

・彼の幸福論の大きな特徴の一つとして、他者と交わることを否定している点がある。社交界という世界では、精神的資源の乏しい者たちが退屈まぎれに乱痴気騒ぎをしているだけであり、精神的に豊かな者にとっては全く参加する価値の無いものだと彼は言う。ショーペンハウエルにとって、かくも彼自身は優れている一方で、彼が生きた時代の他者は愚かにみえたということの反映であろう。
 ここでも引っかかるのは、なによりの反例であるゲーテの生き方をここで批判しないということだ。晩年のゲーテに仕えたエッカーマンの書いた「ゲーテとの対話」を読めば、ゲーテが社交を好んでいたことは明らかである。彼自身こうも言っている。「結局われわれはどう立ちまわっても、みな集合体なのだ。というのは、最も純粋な意味で自分の所有だと呼び得るものを、我々はごく僅かしか具有していないからである。われわれは、みな先人からも同時代の人からも受け入れ且つ学ばねばならない。最大の天才でさえも、自分の心にだけ頼ろうとしたら、大したことは出来ないだろう。」
ショーペンハウエルは、自身の考えと全く正反対な道を歩んだゲーテに対してどんな思いを抱いていたのだろうか。

・p114から154まで飛ばしてもよい。騎士道精神うんぬんはもはや現代の日本人にはピンとこないからだ。


しかしこれらの批判を差し引いてもなお、この本は幸福や人間心理に関する鋭い考察に満ち溢れた偉大な古典であると思う。これまでの人生で読んだ本の中で最も実用的で価値のある本の一冊に数える。

by healthykouta | 2013-05-01 00:34 | 読書