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夜と霧 名言集

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まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかを成し遂げることだ。

最期の瞬間まで誰も奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最期の息を引き取るまで、その生を意義深いものにした。なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。

人は強制収容所に人間をぶち込んで全てを奪う事ができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかに振る舞うかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。

そこに唯一残された、生きることを意味のあるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限される中でどのような覚悟をするかという、まさにその1点にかかっていた。被収容者は、行動的な生からも安逸な生からもとっくに締め出されていた。しかし、行動的な生や安逸な生だけに意味があるのではない。生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむことも生きることも一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、死ぬことがあってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。

・ドフトエフスキー
私が恐れるのはただ一つ、私が私の苦悩に値しない人間になることだ。

・大方の収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことが出来るかという問いだった。
「生きしのげられないなら、この苦しみの全てには意味がない」というわけだ。

しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。
すなわち、私たちを取り巻くこの全ての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。
「もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。」
抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の行幸に左右されるので、
そんな生はもともと生きるに値しないのだから。

・スピノザ
苦悩という情動は、それについて明晰判明にイメージ・表象した途端、苦悩であることを止める。

・ニーチェ 
「なぜ」生きるか知っている者は、「どのように」生きる事にも耐える。

・私たちが生きることから何かを期待するのではなく、
むしろひたすら、「生きること」が私たちから何を期待しているのかが問題なのだ。
「生きること」に意味を問うことを止め、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。
意味を見出すのは自分しかない。

「生きること」は日々そして時々刻々、問いかけてくる。私たちはその問いに答えを迫られている。考えたり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度の表明によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない。

この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で答えることもできない。ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、つねに具体的ななにかであって、したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。この具体性が、ひとりひとりにたった一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と繰り返されない。そしてそれぞれの状況ごとに、人間は異なる対応を迫られる。具体的な状況は、あるときは運命をみずから進んで切り拓くことを求め、あるときは人生を味わいながら真価を発揮する機会をあたえ、またあるときは淡々と運命に甘んじることを求める。だがすべたの状況はたったの一度、ふたつとないしかたで現象するのであり、そのたびに問にたいするたったひとつの、ふたつとない正しい「答え」だけを受け入れる。そしてその答えは、具体的な状況にすでに用意されているのだ。

具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。誰もその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。

ひとつひとつの存在に意味を与える一回性と唯一性は、意識されたとたん人間が生きることの生き続けることにたいして担っている責任の重さをまざまざと気付かせる。自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」生きることにも耐えられるのだ。


自分の言葉で、

一瞬一瞬の判断の連続が生きることを形作る。
生きるとは、個々人があたえられた状況で、その一瞬の決断を自分らしく繰り返していくこと。

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by healthykouta | 2013-08-08 09:54 | 読書