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就活しない生き方 ~総理大臣or社会起業家になるケース~

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慶応義塾大学と早稲田大学には昔から、私大の雄としてのライバル意識がある。余所者から見たらまことにどうでもいい対抗意識なれども、当人達はなにかと競い合っている。たまたま読む機会のあった本の著者がそれぞれ早慶出身で、同じくらいの年に生まれていたので、早慶戦にならって2人の生きる様を比較した。すると、面白い共通点がみえてきた。


今回選んだのは、駒崎弘樹氏と坂口恭平氏だ(以下は敬称を略し名字で書く)。興味深い共通点として両者とも、学部時代に人並みの「就活」をせずに卒業し、当初フリーターであった。慶応総合政策学部出身の駒崎は1979年生まれの現在37歳であり、早稲田工学部建築学科出身の坂口は78年生まれの38歳。ほぼ同い年だ。駒崎は「病児保育」問題を、自らがフローレンスというNPOを設立し、国からの補助金に頼らずに、事業を持続・全国的に拡大させる仕組みを実施することを通して、解決することを目指している。彼の考案したモデルは、国の政策にも取り入れられた。坂口は「土地の所有」に疑問を抱き、0円で生きられる方法を路上生活者(≠ホームレス)から学び、3万円程度で自作できる家(モバイルハウス)を制作し、震災後は「新政府」を設立して自ら総理大臣に就任し、新しい経済のあり方を構想するなどしている。


両者とも学部時代に、今の社会に"おかしさ"を感じるきっかけを持った。それぞれの著書に、その部分の描写がある。駒崎の抱いた違和感は、ベビーシッターの母との会話の中にあった。


“「え、なんで?」

「そう思うでしょう?私もおせっかいだからさ、聞いちゃったわけよ。『あなたみたいないい人が、なんでクビなのよ?』って」

「うん、そうしたら?」

「その人はこう言ったの。『先日この子たちが熱を出したんです。うちの保育園では37.5度以上の子は預かってくれません。だから私が会社を休んで子どもたちを看病したんですが、双子だったのでお互いにうつし合ってしまって、1週間ほど休んでしまったんです。そうしたら会社が激怒して、私は事実上、解雇になってしまって』」

僕は自分の持っていた携帯電話を一度見て、「そんなのおかしくない?」と聞いた。

「そうよ。おかしいのよ。まったくおかしい話だわ。」と母は憤慨して言った。

(中略)

子供が熱を出すことなんて当たり前の話だろうし、それを親が看病するっていうのも、当たり前の話だ。当たり前のことをして職を失う社会に住んでいたなんて。”(『「社会を変える」を仕事にする』p.69)


坂口の違和感は、建築現場で彼が見たものから生じた。


“土地に対して興味を持ったきっかけは、大学時代に大工の修業をしている時だった。弟子入りしたのは東京・東中野の町大工で、僕は家一軒を建てるまでのすべての工程を見せてもらうことになった。基礎工事から全部かかわったのだ。初めて体験したその現場で、僕は、植物が根こそぎ掘り出された大きな穴にコンクリートを流し込んでいく過程が、どうも生理的に受け付けられなかった。なんかこれ、普通に考えたらおかしいような気がするけど、なんでみんな平気な顔でやっているのだろう?不安になってきて、親方に聞いた。

「えっ、これってなんかおかしくないっすか?親方!昔はただ石ころを置いてその上に家を建てていたわけでしょ?なんで、こんなに掘って、そこにコンクリをぐりぐり流し込むんすか?」

「そうだよなあ。やっぱおかしいよなあ」親方は迷わず、そう返した。”(『独立国家のつくりかた』p.65~66)


なぜ両者は、就活をしなかったか。駒崎の『「社会を変える」を仕事にする』には、まるで今の慶応での出来事かと思ってしまうような、印象的なシーンがある。


“2週間ほどたって、珍しく大学で授業を受けたあと、一人で食堂に行った。

食堂はキャンパス内の大きな池に面していて、窓際は眺めがいい。池は湖のように静かな水面をたたえ、降り注ぐ陽光を照り返している。一つ目の前のテーブルに男一人、女の子2人のグループが座った。人影がまばらで静かだった食堂に、彼らの話し声が響いた。

「でさ、俺はGS(ゴールドマン・サックス)とメリル(メリル・リンチ)とJP(JPモルガン、いずれも外資系証券会社)とで迷ってるわけなんだけど、自分を一番高められるところはどこなんだろう、って考えてるわけさ」

「えー、先輩すごいですよー。なんでそんなにレベル高いところの内定をゲットできちゃうんですか」

「うーん、そうだね、やっぱり学生時代からロジカルシンキングを磨いてきたっていうのも、あるよね」男は眉毛の上のほうを指で触りながら言った。

「外資とか受かる人ってやっぱり違いますよねー」もう一人の巻き髪の子が言う。

「いや、違うっていうことはないと思うよ。俺もそうだけど、みんなふつうさ。でもさ、やっぱり外資の方が、自分を活かせる、って感じがするじゃない?もちろん、これは一つのステップに過ぎなくて、三年後にはMBAを取りにアメリカに行くけどね」

「すごーい」と二人の女の子は口を揃えた。


口のなかの苦味が増している。このふざけた野郎の後頭部が僕をいらだたせた。「就職偏差値」の高い企業に行けば自分は「イケている」という、甚だしい勘違い。今までママの言うことを聞いてレールに乗っかってきたやつが、お受験とまったく同じ意識で行う就職活動。自分が勤める会社の国籍がアメリカだというだけでブランドを感じてしまう植民地根性。自分が何をしたいのかもよくわからないのに、とりあえずMBAを取ろうとするばかばかしさ。それを聞いて、すごいすごい、と感嘆する、見た目はきれいな女の子たち。(『「社会を変える」を仕事にする』p77-80


その後、駒崎は自分とその憎たらしい男が違わないことに気づく。すなわち、どちらも肩書きや、世間でもてはやされるブランドに寄りかかっていた(注:当時駒崎は友人が起業したIT企業の社長だった)のだ。その後駒崎は社長を辞め、卒業と同時にフリーターになった。


坂口は、世間の常識ではなく、自分の生理的な感覚に従って生きることにした。


“そんなわけで、大学三年生の時に僕は建築を建てるという思考を完全にやめた。そこから生理的におかしいと感じたものに関しては、とにかくゆっくりと、怒らずに、感情的にならずに、とりあえず答えが出なくても考えてみることにした。

(中略)

「結局、それじゃ食えないから仕方がない」と大人はよく言う。だから、僕は仕方がないと言って生理的に受け付けないものをやる行為そのものを封じ込めることにした。食えなきゃ食えないで、自分でなんとかしろという生き方を選んだ。だから設計もしなかったし、就職もしなかった。それでも生理的にはとても心地よく、楽しかった。僕はギターが弾けたので、路上で試しに歌ったところ、日に1万円稼げた。それですべて解決した。僕は一生飢え死にしない、と。

(中略)

生理的なトリガー(引き金)によって考え始める。そこには自分が考えなくてはならない、使命といっては恥ずかしいが、何らかのやるべき仕事が隠されている。それが僕には「土地」について考えることだった。(『独立国家のつくりかた』p.68~69)


その後、どのように2人が道を切り拓いていったか、興味を持った人はぜひそれぞれの著書を読んでみてください。

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by healthykouta | 2016-05-07 14:49 | 幸福論